論語 / 公冶長篇
子謂子賤:『君子哉若人!魯無君子者、斯焉取斯?』
書き下し
子、子賤を謂いて曰く、『君子なるかな、若(か)の人!魯に君子無くんば、斯れ焉(いずく)んぞ斯れを取らんや。』
現代語訳
孔子は子賤について『なんと君子らしい人物だろう。魯に君子がいなければ、どうしてこのような徳を身につけられただろうか』と評した。
解説
孔子は弟子の子賤について、「なんと立派な人だろう。もし魯の国に立派な人がいなかったら、この人はどこでこれほどの徳を身につけられたのだろうか」と評しました。周りに立派な手本がなければ、人はなかなか自分ひとりで正しい生き方を身につけられません。混乱した時代や、荒れた環境の中でも、きちんとした人柄を保っている人がいるとしたら、それはその人自身の努力とともに、どこかで良い手本や支えとなる人に出会えたおかげでもあります。会社でも地域でも、こうした人が一人でもいると、周りの雰囲気が変わっていきます。良い人を大切に育て、支え合う場をつくることの大切さを教えてくれる言葉です。
この章句が説くこと
子賤君子称賛
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