論語 / 子罕篇
子曰:「衣敝縕袍,與衣狐貉者立,而不恥者,其由也與!『不忮不求,何用不臧?』」子路終身誦之。子曰:「是道也,何足以臧?」
新字:子曰:「衣敝縕袍,与衣狐貉者立,而不恥者,其由也与!『不忮不求,何用不臧?』」子路終身誦之。子曰:「是道也,何足以臧?」
書き下し
子曰く、「敝れたる縕袍を衣て、狐貉を衣たる者と立ちて、恥じざる者は、其れ由なるか。『忮わず求めず、何を用てか臧からざらん。』」子路終身之を誦す。子曰く、「是の道や、何ぞ以て臧しとするに足らん。」
現代語訳
先生がおっしゃった。「破れた綿入れを着て、狐や貉の毛皮を着た者と並んで立っても恥じないのは、由(子路)だろうな。『そねまず、むさぼらず、それでどうして善くないことがあろう』とあるとおりだ。」子路はこの詩句を生涯口ずさんでいた。先生はおっしゃった。「その程度のことで、どうして善しとするに足りようか。」
解説
孔子は褒め、詩句まで引いた。子路は嬉しくて、その句を生涯唱えた。すると孔子は、その程度で満足するなと突き放す。褒めた本人が、褒め言葉に安住した弟子を叱ったわけである。厳しいが、教育としては筋が通っている。褒め言葉は次の段階へ進むための足場であって、到達点の証明ではない。子路は足場を記念碑にしてしまった。同じことは組織でも起きる。一度の高い評価を、自分の代名詞にして繰り返し語る人がいる。語るたびに、それは過去の一点に固定されていく。褒める側も、褒めた言葉が相手を止める可能性を知っておいたほうがよい。孔子の二段階は、褒めることと、そこに留まらせないことを両立させている。
この章句が説くこと
子路称賛安住次の段階教育
関連する章句
-
『呻吟語』内篇・修身・我に一善有り、又た何ぞ妒まん人の善を稱するは、我に一善有り。又た何ぞ妒まんや。人の惡を稱するは、我に一惡有り。又た何ぞ毀らんや。
-
史記 仲尼弟子列伝仲由、字は子路、卞の人なり。孔子より少きこと九歳。子路の性は鄙しく、勇力を好み、志は伉直なり。雄鶏を冠し、豭豚を佩び、孔子を陵暴す。孔子、礼を設けて稍く子路を誘ふ。子路後に儒服して質を委し、門人に因りて弟子為るを請ふ。子路、政を問ふ。孔子曰く、「之に先んじ、之を労ふ」と。益さんことを請ふ。曰く、「倦む無かれ」と。子路問ふ、「君子は勇を尚ぶか」と。孔子曰く、「義を之れ上と為す。君子、勇を好みて義無ければ則ち乱し、小人、勇を好みて義無ければ則ち盗す」と。子路、聞くこと有り、未だ之を行ふ能はざれば、唯だ聞くこと有るを恐る。孔子曰く、「片言以て獄を折む可き者は、其れ由なるか」と。「由や勇を好むこと我に過ぐ。材を取る所無し」と。「由の若きや、其の死を得ざらん」と。季康子問ふ、「仲由は仁なるか」と。孔子曰く、「千乗の国、其の賦を治めしむ可し、其の仁なるを知らず」と。
-
孔子家語・始誅孔子魯の司寇と為り、相の事を摂行し、喜色有り。仲由問いて曰く、「由聞く、君子禍至るも懼れず、福至るも喜ばず、と。今夫子位を得て喜ぶは、何ぞや。」孔子曰く、「然り、是の言有るなり。貴を以て人に下るを楽しむと曰わずや。」
-
孔子家語・致思子路蒲の宰と為る。水備を為し、其の民と溝瀆を修む。民の労煩苦しむを以て、人に一簞の食、一壺の漿を与う。孔子之を聞き、子貢をして之を止めしむ。 子路忿りて悦ばず、孔子に見えて曰わく、「由や暴雨将に至らんとするを以て、水災有らんことを恐れ、故に民と溝洫を修めて以て之に備う。而して民に匱餓する者多し、是を以て簞食壺漿もて之に与う。夫子賜をして之を止めしむ、是れ夫子由の仁を行うを止むるなり。夫子仁を以て教えて其の行いを禁ず、由受けざるなり。」 孔子曰わく、「汝民を以て餓うと為さば、何ぞ君に白して倉廩を発きて以て之を賑わさざる。而して私に爾の食を以て之に饋る、是れ汝君の恵無きを明らかにし、而して己の徳の美を見わすなり。汝速やかに已めば則ち可なり、然らずんば則ち汝の罪せらるること必せり。」
-
論語・雍也篇季康子問う、「仲由は政に従わしむ可きか。」子曰く、「由や果、政に従うに於いて何か有らん。」曰く、「賜は政に従わしむ可きか。」曰く、「賜や達、政に従うに於いて何か有らん。」曰く、「求は政に従わしむ可きか。」曰く、「求や芸、政に従うに於いて何か有らん。」
-
孔子家語・致思子路孔子に見えて曰わく、「重きを負い遠きを渉るには、地を択ばずして休み、家貧しく親老いては、禄を択ばずして仕う。昔者由や、二親に事うるの時、常に藜藿の実を食らい、親の為に米を負うこと百里の外にす。親歿するの後、南のかた楚に遊ぶ。従車百乗、粟を積むこと万鐘、茵を累ねて坐し、鼎を列ねて食らう。藜藿を食らい、親の為に米を負わんと願欲すれども、復た得可からざるなり。枯魚索に銜まるるは、幾何ぞ蠹せざらん。二親の寿は、忽として隙を過ぐるが若し。」 孔子曰わく、「由や親に事うるは、生きては事えて力を尽くし、死しては事えて思いを尽くす者と謂う可し。」