呂氏春秋 / 用民③
劍不徒斷,車不自行,或使之也。夫種麥而得麥,種稷而得稷,人不怪也。用民亦有種,不審其種,而祈民之用,惑莫大焉。
新字:剣不徒断,車不自行,或使之也。夫種麦而得麦,種稷而得稷,人不怪也。用民亦有種,不審其種,而祈民之用,惑莫大焉。
書き下し
劍は徒しく斷たず、車は自ら行かず。之を使うもの或ればなり。夫れ麥を種うれば麥を得、稷を種うれば稷を得るは、人怪しまざるなり。民を用うるも亦た種うる有り。其の種うるを審らかにせずして、民の用いらるることを祈るは、惑い焉より大なるは莫し。
現代語訳
剣はひとりでに物を断つのではなく、車はひとりでに走るのではない。それを使う者がいるからである。そもそも麦を蒔けば麦がとれ、稷を蒔けば稷がとれるのを、人は不思議とは思わない。民を用いるのにも同じく「蒔く種」がある。その種をよく見きわめもせずに、民が役立ってくれることを願うのは、これほど大きな迷いはない。
解説
この段は、剣や車が使い手あって働くように、民の働きも為政者の働きかけあってこそだと説きます。要点は、麦を蒔けば麦がとれる農事の因果を、民を用いる政治にも当てはめ、原因(種)を整えずに結果(民の働き)だけを期待するのは大きな誤りだ、という点です。背景には、賞罰や教化という「種」を正しく蒔けば民は自ずと応じるという因果的統治観があります。現代でも、望む成果は仕組みや環境という原因づくりから生まれます。結果だけを求めて原因を省みない姿勢を戒める、簡潔で示唆に富む一段です。
この章句が説くこと
用民因果種を蒔く賞罰統治の原理
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