塩鉄論 / 結和篇
文學曰:「往者、匈奴結和親、諸夷納貢、即君臣外內相信、無胡、越之患。當此之時、上求寡而易贍、民安樂而無事、耕田而食、桑麻而衣、家有數年之蓄、縣官余貨財、閭里耆老、咸及其澤。自是之後、退文任武、苦師勞眾、以略無用之地、立郡沙石之間、民不能自守、發屯乘城、挽輦而贍之。愚竊見其亡、不睹其成。」
新字:文学曰:「往者、匈奴結和親、諸夷納貢、即君臣外内相信、無胡、越之患。当此之時、上求寡而易贍、民安楽而無事、耕田而食、桑麻而衣、家有数年之蓄、県官余貨財、閭里耆老、咸及其沢。自是之後、退文任武、苦師労眾、以略無用之地、立郡沙石之間、民不能自守、発屯乗城、挽輦而贍之。愚竊見其亡、不睹其成。」
書き下し
文學曰く、往者、匈奴と和親を結び、諸夷貢を納め、即ち君臣外內相信じ、胡・越の患い無し。此の時に當たりて、上の求むること寡くして贍し易く、民は安樂にして事無く、田を耕して食らい、桑麻して衣、家に數年の蓄え有り、縣官に貨財餘り、閭里の耆老、咸な其の澤に及ぶ。是れより後、文を退けて武に任じ、師を苦しめ眾を勞し、以て無用の地を略り、郡を沙石の間に立つ。民は自ら守る能わず、屯を發し城に乘り、輦を挽きて之を贍す。愚竊かに其の亡うを見て、其の成るを睹ず。
現代語訳
文学が言った。「かつて匈奴と和親を結び、諸国が貢ぎ物を納めていたころは、君臣も内外も互いに信じ合い、胡や越の心配はありませんでした。そのころはお上の求めるものが少なくて賄いやすく、民は安らかで事もなく、田を耕して食べ、桑と麻を育てて着る。家には数年分の蓄えがあり、役所には財貨が余り、村里の年寄りにまでその恵みが行きわたっていました。それ以後は文を退けて武に任せ、軍を苦しめ人々を働かせて、役に立たない土地を切り取り、砂と石の間に郡を置いた。民は自分で守ることもできず、守備兵を出して城に上らせ、荷車を引いてそこへ物を運んでいます。愚かな私には、失われていくものは見えても、成し遂げられたものは見えません」
解説
この章句が説くこと
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老子・第20章学を絶てば憂い無し。唯と阿と、相去ること幾何ぞ。善と悪と、相去ること若何。人の畏るる所は、畏れざるべからず。荒としてそれ未だ央きざるかな。衆人は熙熙として、太牢を享くるが如く、春に台に登るが如し。我れ独り泊としてそれ未だ兆さず、嬰児の未だ孩わざるが如し。儽儽として帰する所無きが若し。衆人は皆な余り有るに、我れ独り遺れたるが若し。我れは愚人の心なるかな、沌沌たり。俗人は昭昭たるに、我れ独り昏昏たり。俗人は察察たるに、我れ独り悶悶たり。澹としてそれ海の若く、飂として止まる所無きが若し。衆人は皆な以うる有るに、我れ独り頑にして鄙に似たり。我れ独り人に異なりて、母に食わるるを貴ぶ。
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孫子・用間篇孫子曰く、凡そ師十万を興し千里に出征すれば、百姓の費、公家の奉、日に千金を費やし、内外騒動し、道路に怠り、事を操るを得ざる者七十万家なり。
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孫子・作戦篇孫子曰く、凡そ兵を用うるの法は、馳車千駟、革車千乗、帯甲十万、千里に糧を饋る。則ち内外の費、賓客の用、膠漆の材、車甲の奉、日に千金を費やし、然る後に十万の師挙がるなり。
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『塩鉄論』散不足篇古者、諸侯は馬を秣わず、天子命有れば、車を以て牧に就く。庶人の馬に乘る者は、以て其の勞に代うるに足るのみ。故に行けば則ち桅に服し、止まれば則ち犁に就く。今富者は車を連ね騎を列ね、驂貳輜軿す。中なる者は微輿短轂、繁髦掌蹄なり。夫れ一馬櫪に伏すは、中家六口の食に當たり、丁男一人の事を亡う。
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『塩鉄論』散不足篇古者、庶人は糲食藜藿にして、鄉飲酒・膢臘・祭祀に非ざれば酒肉無し。故に諸侯は故無くして牛羊を殺さず、大夫士は故無くして犬豕を殺さず。今閭巷縣佰、阡伯にて屠沽し、故無くして烹殺し、相い聚まりて野外にす。粟を負いて往き、肉を挈げて歸る。夫れ一豕の肉は、中年の收を得、十五斗の粟は、丁男半月の食に當たる。
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『塩鉄論』西域篇文學曰く、有司の外國の事を言うや、議者は皆な一時の權を僥い、其の後を慮らず。張騫、大宛の天馬汗血、安息の真玉大鳥を言う。縣官既に聞きて甘心するが如し。乃ち大いに師を興して宛を伐ち、數期を歷て而る後に之に克つ。夫れ萬里にして人の國を攻むるに、兵未だ戰わずして物故半ばを過ぐ。宛を破りて寶馬を得たりと雖も、計に非ざるなり。此の時に當たりて、將卒は方に面を赤くして四夷に事う。師旅相望み、郡國並び發し、黎人困苦し、奸偽萌生し、盜賊並び起こる。守尉禁ずる能わず、城邑止むる能わず。然る後に上大夫を遣わし繡衣を衣て以て興ちて之を擊たしむ。此の時に當たりて、百姓元元、其の命を必とする莫し。故に山東の豪傑、頗る異心有り。先帝の聖靈斐然たるに賴る。其の咎は皆な匈奴を畢えんと欲して遠く幾うに在り。主の為に計ること此くの若きは、忠と謂う可きか。