孔子家語 / 三恕
孔子曰:「君子有三思,不可不察也。少而不學,長無能也;老而不教,死莫之思也;有而不施,窮莫之救也。故君子少思其長則務學,老思其死則務教,有思其窮則務施。」
新字:孔子曰:「君子有三思,不可不察也。少而不学,長無能也;老而不教,死莫之思也;有而不施,窮莫之救也。故君子少思其長則務学,老思其死則務教,有思其窮則務施。」
書き下し
孔子曰わく、「君子に三思有り、察せずんばある可からず。少くして学ばざれば、長じて能無し。老いて教えざれば、死して之を思う莫し。有りて施さざれば、窮して救う莫し。故に君子少くして其の長ずるを思えば則ち学に務め、老いて其の死を思えば則ち教うるに務め、有りて其の窮を思えば則ち施すに務む。」
現代語訳
孔子は言った。「君子には三つの『思い(先を見越した考え)』があり、よく心得ておかなければならない。若いときに学ばなければ、成長してから能力を発揮できなくなる。年老いてから人に教えることをしなければ、死んだ後に自分を偲んでくれる者がいなくなる。財があるときに人に施さなければ、困窮したときに誰も助けてくれなくなる。だから君子は、若いうちから成長した後のことを考えて学問に励み、年老いてからは死後のことを考えて人に教えることに努め、財があるうちはいずれ困窮することを考えて人に施すことに努めるのである。」
解説
前段の「三恕」に続けて説かれる「三思」の教えです。いずれも「今の状態がいつまでも続くとは限らない」という前提に立ち、若さ・生・豊かさという今ある条件が失われた後の自分を見越して、あらかじめ備えておくべきことを説いています。学問は年を取ってからでは身につきにくく、人望や評判は生きている間の行いの積み重ねであり、施しは財があるうちにしかできません。順境にあるときほど、その状態がいずれ変化することを見越して準備をしておくという先見的な発想は、老後や不測の事態への備えが重要視される現代においても、変わらず有効な人生訓といえるでしょう。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
三思先見備え学び施し
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