君子訓 / 序
昔の人太平の世に生るゝを以て樂とせり。もし亂世に生れなば、憂ひにしづみて身を終りなん、豈不幸にあらずや。上世の事は遠ければ、治亂の跡もさだかならず。中頃より、或は治まり或は亂れ、終に足利氏の世となり、十三世の間兵亂止まず、天下の人民手足をおく處なくしてひさしく愁ひ苦めり。其後英武の君一人二人相繼ぎて興りたまひしかど、德足らずして久しく生を保つことあたはざりき。いま此御世となりて、筑波山のしげき御惠により、飛鳥川の淵瀨になるうらみなく、四つの海波靜かに、七つの道おだやかなり。かゝる太平の時に生れあへる事、昔の人の樂とする所にして、今の人の幸はなはだし。いかなれば、昔の民亂世に苦みたる彼が如く、今の民治世に樂めること此の如くなるや。
新字:昔の人太平の世に生るゝを以て楽とせり。もし乱世に生れなば、憂ひにしづみて身を終りなん、豈不幸にあらずや。上世の事は遠ければ、治乱の跡もさだかならず。中頃より、或は治まり或は乱れ、終に足利氏の世となり、十三世の間兵乱止まず、天下の人民手足をおく処なくしてひさしく愁ひ苦めり。其後英武の君一人二人相継ぎて興りたまひしかど、徳足らずして久しく生を保つことあたはざりき。いま此御世となりて、筑波山のしげき御恵により、飛鳥川の淵瀨になるうらみなく、四つの海波静かに、七つの道おだやかなり。かゝる太平の時に生れあへる事、昔の人の楽とする所にして、今の人の幸はなはだし。いかなれば、昔の民乱世に苦みたる彼が如く、今の民治世に楽めること此の如くなるや。
書き下し
昔の人太平の世に生るるを以て楽とせり。もし乱世に生れなば、憂ひにしづみて身を終りなん、豈不幸にあらずや。上世の事は遠ければ、治乱の跡もさだかならず。中頃より、或は治まり或は乱れ、終に足利氏の世となり、十三世の間兵乱止まず、天下の人民手足をおく処なくしてひさしく愁ひ苦めり。其後英武の君一人二人相継ぎて興りたまひしかど、徳足らずして久しく生を保つことあたはざりき。いま此御世となりて、筑波山のしげき御恵により、飛鳥川の淵瀨になるうらみなく、四つの海波静かに、七つの道おだやかなり。かかる太平の時に生れあへる事、昔の人の楽とする所にして、今の人の幸はなはだし。いかなれば、昔の民乱世に苦みたる彼が如く、今の民治世に楽めること此の如くなるや。
現代語訳
昔の人は、太平の世に生まれることを楽しみとしました。もし乱世に生まれたなら、憂いに沈んで一生を終えるでしょう。なんと不幸なことではありませんか。上古のことは遠いので、治まったか乱れたかの跡もはっきりしません。中ごろから、あるいは治まりあるいは乱れて、ついに足利氏の世となり、十三代の間、戦乱が止まず、天下の人民は手足を置く所もないほどで、長く愁い苦しみました。その後、武勇にすぐれた主君が一人二人相次いで興られましたが、徳が足りず、長く世を保つことはできませんでした。いまこの御代となって、筑波山の繁った木々のような豊かなお恵みにより、飛鳥川の淵が瀬に変わるような世の移り変わりを恨むこともなく、四方の海は波静かに、七道はおだやかです。このような太平の時に生まれ合わせたことは、昔の人が楽しみとしたところで、今の人の幸いははなはだ大きいのです。どうして、昔の民は乱世にあのように苦しみ、今の民は治まった世にこのように楽しんでいるのでしょうか。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『初学訓』巻之二一いにしへの乱世の時を聞くに、力ある者は、つねに干戈を事として、しばしば戦にのぞみ、力なき者は、粮をつつみて、時々山林に逃げかくる。一日も、安堵の思ひなし。これを思ひて、今の太平の御代の、安穏にして無事なるを楽むべし。農工商は、君に仕へずといへども、又、其国郡を治め給ふ君恩を忘るべからず。大君の御めぐみによりて、かかる太平の楽を享くることを喜ぶべし。
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『君子訓』序此大なる御恵を報い奉らんことは、誠に昊天のきはまり無きが如くなるべし。凡民を治むるには、古の聖の道を法とする事は、言ふもさらなれど、今の世の人、多くは経史に昧く、又官職に居る人は、学ぶに暇なくして、古の経済の道にうとし。爰に我が愚昧をわすれて、かつて聞ける所を述べて、いささか古の道の片はしをあらはす。ひたすら無学の人のため、国字をもてしるし侍る。僭卒の罪のがれ難しと雖も、公侯大人の見聞に富める人のために記すにはあらず。唯一村を治むる小吏、一郡を預る代官のうちに、古の道に志ありて、経史を見聞するに便なき人のため、もしくは小補にもなりぬべく思ひてなり。是我がこの治まれる世の楽をうけたる大なる御恵を報い奉るかたはしになんありける。
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『君子訓』巻之下是始て国を得給ふ先公の心にて、君子業を創め統を垂れて継ぐべきを為すの意なり。其子孫たる人は、其先祖の大なる勲労を以て国を得給ふことの難きをおもひ、其先祖を尊び、其志を継ぎ、其法を守りて永く国土を保ち、人民を治め給はば、是其先祖の志にかなひて、諸侯の孝行是より大なるはなし。もし先祖の国を得給ふことの難き事を思はず、我が身何の辛労もなく、居ながら国を領して、其富貴安楽を受け、恣に驕り、酒宴遊楽を事とし、剰へ我が才智に誇り、先祖を侮り、其定め置き給ひし家法を破り、又国民を苦め、政法を猥にして、終に其臣民に背かれ、国土を失ふに至るは、諸侯の不孝是より大なるはなし。此思ふと思はざるとの二は、国家の治乱存亡の機なり。諸侯の子孫たる人、此二の機を察して、常に慎みて徳を修め孝を行ひ給はば、其後栄永く伝はりて、令名限りなかるべし。
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『初学訓』巻之二此四恩は人の本なり。人たる者、つねに尊びて忘るべからず。身を終るまで務めて、其恩を必ず報ずべきことなり。四恩に限らず、人倫には、必ず恩をうくる人あり。忘るべからず。一今の世に生るる人、乱世にあはず、治世に住めるは、大なる幸なり。是、世を治め給ふ大君の御めぐみなり。大君は、たとへば、天地を大父母とするが如し。主君の上なる大主君なり。其御威徳によりて、世をさまり、わが身安楽に此世に住めれば、是亦、四民ともに、大恩をかうぶれり。其御めぐみを仰ぎて、忘るべからず。
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『君子訓』巻之下一漢土も大和も、王公の国土を得給ふことは、其始は極めて難き事なり。中にも戦国の時に生れて、家を興し国を得たまふ人は、安楽なる暇なし。風に櫛り雨に沐ひ、朝夕戦闘を事とし、自ら敵に臨みて、鋒鏑を冒し、万死を出でて一生を得、常に心を労し身を苦め、大艱難大辛労を経て、終に大国を得、大禄を受け給へり。唯時の幸にて、故もなくたやすく国を得給ふにはあらず。又既に国を得ては、城郭を築き、法制を定め給ふ辛労も、亦はかりなし。其大勲労をなし給ふことは、本より忠義の心に出で、唯我一代の栄華を受けん為にはあらず。代々賢子孫おはしまして、能く其志を継ぎ、其法を守りて、人民を保ち国土を失はず、長久にして栄え楽しまんことを願ひたまふ。
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『楽訓』巻之下・後論一栄啓期が三の楽は、人となり、男子となり、いのち長かりしをいへりしは、誠にさる事なり。今の世の人は、此上に、又大に楽むべきことひとつあり。これを知りて、人ごとに楽むべし。其の可楽はなんぞ。大君の御めぐみによりて、かかる太平の御世に生れ、堯舜の仁にあひて、白頭まで干戈を見ず、是大なる楽にあらずや。康節の世を論ぜし詞に、太平の世に生れ、太平の世に老い、太平の世に死ぬるといへりしは、誠に大なる幸なり。今の世の人皆しかり。乱世に生れては、朝夕兵革を事とし、或は難をのがれさけて、身のおき所もなく、山にも海にも、白波の立田山、夜半にひとり行きがたきのみならず、白日といへど、同じき輩多く伴はざれば、近き所にも往きかへる事やすからざりしとなん。
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