甲陽軍鑑 / 品第四十二
敵共謀りてたすかりたがるとばかり末代にもおほしめし候へ如件○城をせむるに、一敵出る不出見樣の事、口傳有一大將御迴見の事一竹たば、ねこしをいはねば人損ず一ぢやう林一西樓あぐるにくみ樣あり、口傳有一處によりて、かねほり、是も穴ほる計りにてもなし、鍛練あり、子細は掘樣の指圖多し、それによつて大工もかねほりも信玄公御領分のは案內者なり、
新字:敵共謀りてたすかりたがるとばかり末代にもおほしめし候へ如件○城をせむるに、一敵出る不出見様の事、口伝有一大将御迴見の事一竹たば、ねこしをいはねば人損ず一ぢやう林一西楼あぐるにくみ様あり、口伝有一処によりて、かねほり、是も穴ほる計りにてもなし、鍛練あり、子細は掘様の指図多し、それによつて大工もかねほりも信玄公御領分のは案内者なり、
書き下し
敵共謀りてたすかりたがるとばかり末代にもおほしめし候へ如件○城をせむるに、一敵出る不出見様の事、口伝有一大将御迴見の事一竹たば、ねこしをいはねば人損ず一ぢやう林一西楼あぐるにくみ様あり、口伝有一処によりて、かねほり、是も穴ほる計りにてもなし、鍛練あり、子細は掘様の指図多し、それによつて大工もかねほりも信玄公御領分のは案内者なり、
現代語訳
よく信玄公の矛先が強くして、敵どもが謀って助かりたがるとばかり、末代にも思し召し候え。この件のごとし。城を攻めるに、一、敵が出るか出ないか、見様の事。口伝あり。一、大将の御廻り見の事。一、竹束。猫輪を言わなければ人を損ずる。一、定林。一、西楼を上げるに組み様あり。口伝あり。一、所によりて金掘り。これも穴を掘るばかりでもなし、鍛練あり。子細は掘り様の指図が多い。それによって、大工も金掘りも信玄公御領分の者は案内者である。
解説

人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
本の中身を見るこの章句が説くこと
関連する章句
-
孫子・謀攻篇故に上兵は謀を伐つ。その次は交を伐つ。その次は兵を伐つ。その下は城を攻む。
-
『甲陽軍鑑』品第十四さありて此度長篠にて勝頼公の人数甲州衆うへの原に加藤丹後を残し置き、其余は一円に立て是八千なり、上野衆四千信濃より六千合せて一万八千の内、鳶が巣に千又長篠城奥平押へに千おきて、残る一万六千をもつて七万あまりの人数の節所を三ツまで搆へ、柵の木を三重にふりて待ちかまへてゐる所へ、面もふらずかゝるは、敵四人こなた一人のつもりなれ共、節所と柵の木とを考れば是又敵に十万の加勢なり、縦へば十七万の人数の籠りたる城を一万六千にて責めたるごとくなり、信玄公つねの智略にも千籠りたる城をば、二四の人数にてせめんと定め給ふ、五千にてはことあやうしと有り、
-
『甲陽軍鑑』品第六其四年にあたつて、信玄公十六の御年信州海野口にて、父信虎公八千の人数をもつてせめ給へども、次第に城强して不落、然る所に信玄公はかりことのつもりをもつて、三百計の人数にて速にのりとり給ふ一長尾謙信輝虎公十三の御年仰らるゝは、
-
『甲陽軍鑑』品第四十三是一対二人之人也一他国へはたらきの時、其国の案内能く知たる人の事一諸傍輩にすぐれ、わが主君をよくたつとぶの事、是一対二人なり一物よくしつて、うわつらになく古人の理に徹して唐·日本にて侍手がらのうはさ有様に申人の事一坊主·町人·百姓いづれ成共計策能するものゝ事一是一対二人なり一忍よくする者の事一かねほり、是一対二人也右一二人にてすくなしといへども、
-
『甲陽軍鑑』品第四十二さるに付信玄公軍陣の役者におぼへなき人はあるまじきなり如件鑓奉行一信玄公十六歳より五十三迄の間に軍法工夫仕たる衆一荻原常陸守是は譜代衆也相図の小旗·相図の物見·がくのどう一原加賀守同方向の陣取一原美濃守足軽りうごのり、二のかけ備たこむ事一横田備中備組結ぶ事一多田淡路夜軍あつくうつて、うすく出る事、ひかへ時までいつさくなり一加藤駿河信玄公の弓矢の指南申たる武士なり一小幡山城楼西櫓に数の刻、敵の城へ取懸たる時出る出ざるを見合す事、敵の働き様にて味方にあやうき事見合儀一山本勘介城取或は敵をまはす事一米倉丹後守甲州人衆也城をせむるに竹たばの事一馬塲美濃守同押太鼓の九字を表する也、
-
『甲陽軍鑑』品第四十二一ツにしても不苦右三河牢人に山本勘介と申武士、信玄公御譜代のことくにめしつかはるゝ者也、当家の城取はこの勘介流なり、勘介に馬塲美濃守能く相伝す、信玄公駿河〓水において城を取給ふとき馬塲美濃守に被仰付候は此城敵小勢には、せめおとされさるやうに仕れ、又多勢にてせめられたる時、我人数をもつてせむるに手間とらざるごとくに城取候へと被仰出諸人不知之、馬塲美濃守は相伝の上なれば尤と会得仕る、信玄公能々さやうの縄ばり御存オノ〳〵知にて如此と各傍輩衆へ美濃守かたる、もとより勘介委しく信玄公へ相伝申上たり、さて各に馬塲美濃守語りていはく、