甲陽軍鑑 / 品第四十二
右二ツのさいはいかくの分なり○陣取の事方向、是は敵國深く働時、夜合戰にあはざる陣取也、素より軍法に大によし、但し信玄公宣ふは、十ケ國迄は此陣取然るべし、又二十ケ國より上には、族本定りて多勢たるべきとて魚鱗の陣取と名付て一ツあそばしをかるゝ、それは信玄公御工夫なり、馬塲美濃守·内藤修理正·山縣三郞兵衞·高坂彈正·土屋右衞門尉·小山田彌三郞計りに被仰渡餘人は存間敷者也、大軍にて此陣取になさることも御旗本計りの事、先衆はいづれも方向の陣取よかるべく候、陣取に付たり、
新字:右二ツのさいはいかくの分なり○陣取の事方向、是は敵国深く働時、夜合戦にあはざる陣取也、素より軍法に大によし、但し信玄公宣ふは、十ケ国迄は此陣取然るべし、又二十ケ国より上には、族本定りて多勢たるべきとて魚鱗の陣取と名付て一ツあそばしをかるゝ、それは信玄公御工夫なり、馬塲美濃守·内藤修理正·山県三郎兵衛·高坂弾正·土屋右衛門尉·小山田弥三郎計りに被仰渡余人は存間敷者也、大軍にて此陣取になさることも御旗本計りの事、先衆はいづれも方向の陣取よかるべく候、陣取に付たり、
書き下し
右二ツのさいはいかくの分なり○陣取の事方向、是は敵国深く働時、夜合戦にあはざる陣取也、素より軍法に大によし、但し信玄公宣ふは、十ケ国迄は此陣取然るべし、又二十ケ国より上には、族本定りて多勢たるべきとて魚鱗の陣取と名付て一ツあそばしをかるゝ、それは信玄公御工夫なり、馬塲美濃守·内藤修理正·山県三郎兵衛·高坂弾正·土屋右衛門尉·小山田弥三郎計りに被仰渡余人は存間敷者也、大軍にて此陣取になさることも御旗本計りの事、先衆はいづれも方向の陣取よかるべく候、陣取に付たり、
現代語訳
右の二つの采配はこの分である。陣取りの事、方向。これは敵国深く働く時、夜合戦に遭わない陣取りである。もとより軍法に大いによし。ただし信玄公が宣うには、十か国までは、この陣取りが然るべし。また二十か国より上には、旗本が定まって多勢たるべしとて、魚鱗の陣取りと名付けて一つあそばし置かれる。それは信玄公の御工夫である。馬場美濃守・内藤修理正・山県三郎兵衛・高坂弾正・土屋右衛門尉・小山田弥三郎ばかりに仰せ渡され、余人は存ずまじき者である。大軍にてこの陣取りになさる事も御旗本ばかりの事。先衆はいずれも方向の陣取りがよかるべく候。
解説
この章句が説くこと
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