甲陽軍鑑 / 品第四十二
口傳おほし○大將三ツのさいはいは、第一につね〳〵自國·他國共に武土の手がら忠節·忠功·上中下共によき批判の事、第二に人を能みしり、それ〳〵に役を申付る事、第三に忠節·忠功の武士に手抦の上中下をよくせんさくして、三段に恩をくるゝ事、是右ともに三のさいはいなり、かくの通りあしければ諸侍の行義むさぼりて、下の手抦も己己が仕樣にて上になると心得、戰塲のはたらきをばひかへ、輕薄計りにかゝりて大將のほこさきよわし、さるに付此三ケ條は國持大將のさいはいならん、又手にてさいはいふるは其下の侍大將、或は足輕大將の仕所なり如件一御旗奉行には、
新字:口伝おほし○大将三ツのさいはいは、第一につね〳〵自国·他国共に武土の手がら忠節·忠功·上中下共によき批判の事、第二に人を能みしり、それ〳〵に役を申付る事、第三に忠節·忠功の武士に手抦の上中下をよくせんさくして、三段に恩をくるゝ事、是右ともに三のさいはいなり、かくの通りあしければ諸侍の行義むさぼりて、下の手抦も己己が仕様にて上になると心得、戦塲のはたらきをばひかへ、軽薄計りにかゝりて大将のほこさきよわし、さるに付此三ケ条は国持大将のさいはいならん、又手にてさいはいふるは其下の侍大将、或は足軽大将の仕所なり如件一御旗奉行には、
書き下し
口伝おほし○大将三ツのさいはいは、第一につね〳〵自国·他国共に武土の手がら忠節·忠功·上中下共によき批判の事、第二に人を能みしり、それ〳〵に役を申付る事、第三に忠節·忠功の武士に手抦の上中下をよくせんさくして、三段に恩をくるゝ事、是右ともに三のさいはいなり、かくの通りあしければ諸侍の行義むさぼりて、下の手抦も己己が仕様にて上になると心得、戦塲のはたらきをばひかへ、軽薄計りにかゝりて大将のほこさきよわし、さるに付此三ケ条は国持大将のさいはいならん、又手にてさいはいふるは其下の侍大将、或は足軽大将の仕所なり如件一御旗奉行には、
現代語訳
大将の三つの采配は、第一に常々、自国・他国ともに武士の手柄、忠節・忠功の上中下ともによき批判の事。第二に人をよく見知り、それぞれに役を申し付ける事。第三に忠節・忠功の武士に、手柄の上中下をよく詮索して、三段に恩を与える事。これらが右ともに三つの采配である。この通りが悪しければ、諸侍の行儀は貪って、下の手柄も己が仕様で上になると心得、戦場の働きをば控え、軽薄ばかりに掛かって大将の矛先が弱る。さるにつき、この三か条は国持ちの大将の采配であろう。また手にて采配を振るのは、その下の侍大将、あるいは足軽大将の仕所である。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『墨子』公孟程子曰く、「甚だしいかな、先生の儒を毁るや」と。子墨子曰く、「儒に固より此の各の四政無くして、我れ之を言わば、則ち是れ毁るなり。今、儒に固より此の四政有りて、我れ之を言わば、則ち毁るに非ざるなり、聞くを告ぐるなり」と。程子、辭無くして出づ。子墨子曰く、「之に迷えるかな」と。反り、後に坐して、進みて復た曰く、「鄉者、先生の言に聞く可き者有り。若し先生の言のごとくんば、則ち是れ禹を譽めず、桀紂を毁らざるなり」と。子墨子曰く、「然らず。夫れ孰辭に應ずるに、議に稱いて之を為すは、敏なり。厚く攻むれば則ち厚く吾れし、薄く攻むれば則ち薄く吾れす。孰辭に應じて議に稱うは、是れ猶お轅を荷いて蛾を擊つがごときなり」と。
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『墨子』公孟二三子、子墨子に復して曰く、「告子曰く、『義を言いて行い甚だ惡し』と。請う、之を棄てん」と。子墨子曰く、「不可なり。我が言を稱して以て我が行いを毁るは、亡きに愈れり。人、此に有り、『翟は甚だ不仁なり、天を尊び、鬼に事え、人を愛して、甚だ不仁なり』と。猶お亡きに愈るなり。今、告子は言談甚だ辯にして、仁義を言いて吾を毁らず。告子は猶お亡きに愈るなり」と。
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孟子・盡心章句下貉稽(ハク・ケイ)曰く、「稽大いに口に理あらず。」孟子曰く、「傷むこと無かれ。士は茲の多口に憎まる。詩に云う、『憂心悄悄たり、羣小に慍らる』とは、孔子なり。『肆(ついに)に厥に慍りを殄(たつ)たず、亦た厥の問を隕とさず』とは、文王なり。」
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尚書・秦誓人を責むる斯れ難きこと無し、惟れ責めを受けて流るるが如くならしむる、是れ惟れ艱きかな。
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『韓非子』忠孝第五十一人の臣と為りて、常に先王の德厚を譽めて之を願うは、是れ其の君を誹謗する者なり。・・・其の君を非る者は、天下之を賢とす。此れ亂るる所以なり。
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論語・憲問篇微生畝、孔子に謂いて曰く、「丘、何為れぞ是れ栖栖たる者ぞ。乃ち佞を為すこと無からんや。」孔子曰く、「敢えて佞を為すに非ざるなり、固を疾むなり。」