甲陽軍鑑 / 品第四十三
去々年長篠にて討死なり○一米倉丹後守一加藤駿河守○右之外七人一馬塲美濃守信虎公の御代に十八歲より初陣仕り、其身廿五歲より信玄公へめしつかはる、信虎公·信玄公·勝賴公迄三代召つかわれ、去々年長篠合戰六十二歲にて討先仕らる、信虎公·信玄公二代の間に武篇數度の走り迴りいたす中に、我一備にすぐれたる事二十一度、仍而御父子之御證文二十一取て持つ內に、然かも諸軍に勝れたると云ふ儀九ツ有、是程の手がらをあらはし申され候へども、六十二歲まで手疵一ケ所もかうふらざる仁なり、
新字:去々年長篠にて討死なり○一米倉丹後守一加藤駿河守○右之外七人一馬塲美濃守信虎公の御代に十八歳より初陣仕り、其身廿五歳より信玄公へめしつかはる、信虎公·信玄公·勝頼公迄三代召つかわれ、去々年長篠合戦六十二歳にて討先仕らる、信虎公·信玄公二代の間に武篇数度の走り迴りいたす中に、我一備にすぐれたる事二十一度、仍而御父子之御證文二十一取て持つ内に、然かも諸軍に勝れたると云ふ儀九ツ有、是程の手がらをあらはし申され候へども、六十二歳まで手疵一ケ所もかうふらざる仁なり、
書き下し
去々年長篠にて討死なり○一米倉丹後守一加藤駿河守○右之外七人一馬塲美濃守信虎公の御代に十八歳より初陣仕り、其身廿五歳より信玄公へめしつかはる、信虎公·信玄公·勝頼公迄三代召つかわれ、去々年長篠合戦六十二歳にて討先仕らる、信虎公·信玄公二代の間に武篇数度の走り迴りいたす中に、我一備にすぐれたる事二十一度、仍而御父子之御證文二十一取て持つ内に、然かも諸軍に勝れたると云ふ儀九ツ有、是程の手がらをあらはし申され候へども、六十二歳まで手疵一ケ所もかうふらざる仁なり、
現代語訳
去々年、長篠にて討死である。一、米倉丹後守。一、加藤駿河守。右の外に七人。一、馬場美濃守は信虎公の御代に十八歳より初陣を仕り、その身二十五歳から信玄公へ召し使われる。信虎公・信玄公・勝頼公まで三代召し使われ、去々年の長篠合戦に六十二歳にて討死を仕られる。信虎公・信玄公二代の間に武辺数度の走り回りをいたす中に、我が一備えに優れたる事二十一度、よって御父子の御証文を二十一取って持つ内に、しかも諸軍に優れたという儀が九つある。これほどの手柄を表し申され候えども、六十二歳まで手傷を一か所も蒙らざる仁である。
解説
この章句が説くこと
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論語・子張篇叔孫武叔、仲尼を毀る。子貢曰く、「以て為すこと無かれ。仲尼は毀る可からざるなり。他人の賢者は、丘陵なり、猶お踰ゆ可きなり。仲尼は、日月なり、得て踰ゆること無し。人自ら絶たんと欲すと雖も、其れ何ぞ日月を傷らんや。多だ其の量を知らざるを見るなり。」
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『墨子』兼愛中昔者、文王の西土を治むるや、日の若く月の若く、乍ち四方に光り、西土に于てす。大國を為して小國を侮らず、衆庶を為して鰥寡を侮らず、暴勢を為して穡人の黍稷狗彘を奪わず。天、屑みて文王の慈を臨む。是を以て老いて子無き者は、其の夀を終うるを得る所有り、獨りにして兄弟無き者は、生人の間に雜わる所有り、少くして其の父母を失う者は、放依して長ずる所有り。此れ文王の事なれば、則ち吾れ今、兼を行わん。昔者、武王、將に泰山に事えんとし、隧む。傳に曰く、「泰山よ、道有る曽孫周王、事有り。大事既に獲て、仁人尚く作り、以て商夏蠻夷醜貉を祗む。周親有りと雖も、仁人に若かず。萬方に罪有らば、維れ予れ一人」と。此れ武王の事を言う。吾れ今、兼を行わん。
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論語・子張篇陳子禽、子貢に謂いて曰く、「子は恭を為すなり。仲尼豈に子より賢らんや。」子貢曰く、「君子は一言以て知と為し、一言以て不知と為す。言は慎まざる可からざるなり。夫子の及ぶ可からざるや、猶お天の階して升る可からざるがごときなり。夫子の邦家を得たらば、所謂『之を立つれば斯に立ち、之を道けば斯に行き、之を綏んずれば斯に来たり、之を動かせば斯に和す。其の生くるや栄え、其の死するや哀しむ』。之を如何ぞ其れ及ぶ可けんや。」
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尚書・咸有一德七世の廟は、以て徳を観るべし。万夫の長は、以て政を観るべし。
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