甲陽軍鑑 / 品第四十三
信玄公流武道の御定め如件是よりすへは高坂彈正私に申儀也雜人陣にて煩ひの時一虫には曹洞宗の百貫草、水一盃半分を一盃にせんじのまする、手に一ツもにぎり、口傳一おこりには龜一ッ黑燒にす、水にて是れをのます一熱氣には拾五氣の木、手一束に右のせんじやう、口傳○敵と對陣之時、
新字:信玄公流武道の御定め如件是よりすへは高坂弾正私に申儀也雑人陣にて煩ひの時一虫には曹洞宗の百貫草、水一盃半分を一盃にせんじのまする、手に一ツもにぎり、口伝一おこりには亀一ッ黒焼にす、水にて是れをのます一熱気には拾五気の木、手一束に右のせんじやう、口伝○敵と対陣之時、
書き下し
信玄公流武道の御定め如件是よりすへは高坂弾正私に申儀也雑人陣にて煩ひの時一虫には曹洞宗の百貫草、水一盃半分を一盃にせんじのまする、手に一ツもにぎり、口伝一おこりには亀一ッ黒焼にす、水にて是れをのます一熱気には拾五気の木、手一束に右のせんじやう、口伝○敵と対陣之時、
現代語訳
信玄公流の武道の御定めはこの件のごとし。これより末は高坂弾正が私に申す儀である。雑人が陣にて煩いの時。一、虫には曹洞宗の百貫草。水一盃を半分に煎じて飲ませる。手に一つも握り。口伝。一、瘧には亀を一つ黒焼きにす。水にてこれを飲ます。一、熱気には十五気の木、手一束、右の煎じ様。口伝。
解説
軍法の定めが終わった後に、書き手が私に申すこととして陣中の薬を三つ書いている。侍ではなく雑人が病んだ時の手当てである。軍法の巻に、下働きの者の腹痛や熱の処方が並んでいるところに、この家の目配りが見える。軍法の巻に、下働きの者の腹痛や熱の処方が並んでいるところに、この家の目配りが見える。しかも私に申す事だと断って書かれている。
この章句が説くこと
陣中薬雑人手当て口伝目配り
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