甲陽軍鑑 / 品第四十
扨又いやしくも信玄公分別·才覺のまねをもつて、工夫·思案して唐國諸葛孔明陣をとりしき、備へまふけ城をかまへらるゝ儀尋て是をならひ、陣取を大小二にして其外人數備·三ツのかまへ·かずのはたらきやうを仕り、我子孫計りにあらず誰人なりと云共、於義義國の中において敷發の聚金物、車多そらにがひるるためせる玄が軍法如此と宣ふ也、扨又軍法の儀は別に一卷有之、
新字:扨又いやしくも信玄公分別·才覚のまねをもつて、工夫·思案して唐国諸葛孔明陣をとりしき、備へまふけ城をかまへらるゝ儀尋て是をならひ、陣取を大小二にして其外人数備·三ツのかまへ·かずのはたらきやうを仕り、我子孫計りにあらず誰人なりと云共、於義義国の中において敷発の聚金物、車多そらにがひるるためせる玄が軍法如此と宣ふ也、扨又軍法の儀は別に一巻有之、
書き下し
扨又いやしくも信玄公分別·才覚のまねをもつて、工夫·思案して唐国諸葛孔明陣をとりしき、備へまふけ城をかまへらるゝ儀尋て是をならひ、陣取を大小二にして其外人数備·三ツのかまへ·かずのはたらきやうを仕り、我子孫計りにあらず誰人なりと云共、於義義国の中において敷発の聚金物、車多そらにがひるるためせる玄が軍法如此と宣ふ也、扨又軍法の儀は別に一巻有之、
現代語訳
さてまた、いやしくも信玄公が分別・才覚の真似をもって工夫・思案し、唐国の諸葛孔明が陣を取り敷き、備えを設け城を構えられた儀を尋ねてこれを習い、陣取りを大小の二つにして、そのほか人数の備え、三つの構え、数の働きようをいたし、我が子孫ばかりではなく誰人であっても、信玄の軍法はこのとおりであると宣われるのである。さてまた軍法の儀は別に一巻がこれにある。
解説
孔明の陣立てを尋ねて習い、それを自分の形に組み直したという。しかも子孫だけのものにせず、誰であっても使えと言う。前段の、長い歌を短く詠み直した話と並べられていて、受け継ぐとは形を写すことではなく使える形に直すことだと示される。受け継ぐとは形を写すことではなく、使える形に直すことだと示される。しかも子孫だけのものにせず、誰であっても使えと言っている。
この章句が説くこと
軍法孔明陣取習工夫子孫
関連する章句
-
『甲陽軍鑑』品第四十ゆふべに思ふても分別をよくせよと信玄公のたまふなり一内藤修理正いはく信玄公御諚に人は分別肝要と仰らるゝ、是尤に候、然れば分別の儀ならひにて智恵つかんと内藤申に、小山田弥三郎ねがはくはこれをきかんと、しきりにとふ、そこにて内藤修理いはく、気遣といふことあれば分別にもちかよらん、右の気遣から万へ心つき候て、我いたらぬ事を分別ある人にならひ、事をすますに付て如此の様子度々かさなりて後、自分の心得も出来り、猶以工夫·分別·広才の智ある人に近づき候へば、扨気遣は分別のいろはにてはなきかと、内藤小山田にをしへ候なり一小山田弥三郎内藤修理に問、
-
論語・学而篇曾子曰く、「吾日に三たび吾が身を省みる。人の為に謀りて忠ならざるか、朋友と交わりて信ならざるか、習わざるを伝えしか。」
-
『正法眼蔵随聞記』巻六学道の人言ばを発せんとする時は、三度顧て自利利他の為に、利あるべくんば是を云ふべし、利なからん言語は止まるべし、かくのごときの事も一度には得がたし、心にかけて漸々に習ふべきなり、
-
『正法眼蔵随聞記』巻六亦云く、学道の用心は只本執を放下すべし、まづ身の威儀をさきとしてあらたむれば、心も随ふて改まるなり、先づ律儀戒行を守れば、心も随ふて改まるべし、宋土には俗人等の常の習ひに、父母に孝養の為に宗廟にて各々聚会し、泣まねをするほどに、終には実に泣くなり、学道の人も初めより道心なくとも、只しひて仏道を好み学せば、終には実の道心も起るべきなり、
-
『甲陽軍鑑』品第四十其後工夫を被成、新軍法其外諸法度の仕置をあそばし給ふ事皆是信玄公と合て四大将何も取合故也、さるにつき軍法は先当代四大将よりはしまる、むかしはありといへ共、尊氏公四代目の御時分からして連々取失たるとみへ候、軍法の儀は信玄公·謙信公両君なれ共、
-
『甲陽軍鑑』品第四十二さるに付信玄公軍陣の役者におぼへなき人はあるまじきなり如件鑓奉行一信玄公十六歳より五十三迄の間に軍法工夫仕たる衆一荻原常陸守是は譜代衆也相図の小旗·相図の物見·がくのどう一原加賀守同方向の陣取一原美濃守足軽りうごのり、二のかけ備たこむ事一横田備中備組結ぶ事一多田淡路夜軍あつくうつて、うすく出る事、ひかへ時までいつさくなり一加藤駿河信玄公の弓矢の指南申たる武士なり一小幡山城楼西櫓に数の刻、敵の城へ取懸たる時出る出ざるを見合す事、敵の働き様にて味方にあやうき事見合儀一山本勘介城取或は敵をまはす事一米倉丹後守甲州人衆也城をせむるに竹たばの事一馬塲美濃守同押太鼓の九字を表する也、