甲陽軍鑑 / 品第四十三
加藤駿河守かねて是をたつる、駿河守死去の後大剛の衆も皆侍大將·足輕大將なる故、御旗奉行より是を立る、騎馬奉行はいたすも有といへども、それは武者とはいはず、武者奉行は御大將へ弓矢の助言申人成者なり、旗本衆は武者奉行口をまほつて御大將と對々に存ずるにつき、武者奉行少も人數を持てはならざる役也、弓矢の功者少しも疑ひ有てはならざる事也、
新字:加藤駿河守かねて是をたつる、駿河守死去の後大剛の衆も皆侍大将·足軽大将なる故、御旗奉行より是を立る、騎馬奉行はいたすも有といへども、それは武者とはいはず、武者奉行は御大将へ弓矢の助言申人成者なり、旗本衆は武者奉行口をまほつて御大将と対々に存ずるにつき、武者奉行少も人数を持てはならざる役也、弓矢の功者少しも疑ひ有てはならざる事也、
書き下し
加藤駿河守かねて是をたつる、駿河守死去の後大剛の衆も皆侍大将·足軽大将なる故、御旗奉行より是を立る、騎馬奉行はいたすも有といへども、それは武者とはいはず、武者奉行は御大将へ弓矢の助言申人成者なり、旗本衆は武者奉行口をまほつて御大将と対々に存ずるにつき、武者奉行少も人数を持てはならざる役也、弓矢の功者少しも疑ひ有てはならざる事也、
現代語訳
右の札は武者奉行から書き出すにより、加藤駿河守がかねてこれを立てる。駿河守死去の後は、大剛の衆も皆が侍大将・足軽大将になるゆえに、御旗奉行からこれを立てる。騎馬奉行がいたす事もあるといえども、それは武者とは言わない。武者奉行は御大将へ弓矢の助言を申す人である者なり。旗本衆は武者奉行の口を守って御大将と対々に存ずるにつき、武者奉行は少しも人数を持ってはならない役である。弓矢の功者に、少しも疑いがあってはならない事である。
解説

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『十善法語』巻第五・不綺語戒又有道ノ士カ自ノ所得ノ法ヲ文辞ニ寓スル。三祖ノ信心銘。永嘉ノ証道歌。寒山ノ詩。杯度ノ歌。ソノ類多キシヤ。又勧戒ヲ世ニ垂ルルモアル。上古ノ金人銘。鼎銘ノ類。ミナ糸竹管絃ノ比対スヘキトコロニアラス。狂言綺語トハ同日ノ論ニアラスシヤ。法トシテ如是ナレドモ。此綺語ヲモ一向ニ廃セヨト云テハナイ。広ク云ハハ。世間一切事。ミナ利アリ害アル。仮令詩書六経モ時ニヨリテハ其害生スル。囲碁飲酒モ事ニ当テハ少分ノ徳有ル。喩ヘハ一草一木ノミナ能アリ毒アル如クシヤ。人参白朮モ時ニヨリテ害アル。砒礵斑猫モ其病ニ当テハ薬トナル如シヤ。今民間ノ風俗ヲ観ルニ。世僧ノ連歌聯句ヲ習フスラ。ナホ我慢勝他ノ俗態少ク。細民ノ誹諧ナトヲ好ム。ナホ非理ノ口論ニ勇マヌシヤ。
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『韓非子』六反第四十六霸王なる者は、人主の大利なり。人主大利を挟みて以て治を聴く、故に其の官に任ずる者は能に当たり、其の賞罰は私無し。士民をして明らかならしめば、力を尽くし死を致し、則ち功伐立つべくして爵禄致すべし、爵禄致りて富貴の業成る。富貴なる者は、人臣の大利なり。人臣大利を挟みて以て事に従ふ、故に其の行危ふくして死に至り、其の力尽くして望まず。此れを君仁ならず、臣忠ならずして、則ち以て霸王たるべしと謂ふ。夫れ姦は必ず知らるれば則ち備へ、必ず誅せらるれば則ち止む。知られざれば則ち肆にし、誅せられざれば則ち行ふ。夫れ軽貨を幽隠に陳ぬれば、曾・史と雖も疑ふべし。百金を市に懸くれば、大盗と雖も取らず。知られざれば、則ち曾・史も幽隠に疑ふべし。必ず知らるれば、則ち大盗も懸金を市に取らず。故に明主の国を治むるや、其の守を衆くして其の罪を重くし、民をして法を以て禁ぜしめて廉を以て止めしめず。母の子を愛するや父に倍す、父の令の子に行はるるは母に十す。吏の民に於けるや愛無し、令の民に行はるるは父に万す。母は愛を積みて令窮し、吏は威厳を用ひて民聴従す、厳愛の筴も亦決すべし。且つ父母の子に求むる所以や、動作すれば則ち其の安利を欲し、身を行へば則ち其の罪に遠ざからんことを欲す。君上の民に於けるや、難有れば則ち其の死を用ひ、安平なれば則ち其の力を尽くさしむ。親は厚愛を以て子を安利に関はらしめんとして聴かれず、君は無愛利を以て民の死力を求めて令行はる。明主之を知る、故に恩愛の心を養はずして威厳の勢を増す。故に母厚愛に処りて、子多く敗るるは、愛を推せばなり。父薄愛にして教笞して、子多く善なるは、厳を用ふればなり。
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『長短経』利害〔孫子曰く「兵甚だ陥れば則ち懼れず、已むを得ざれば則ち闘う。是の故に、其の兵は修めずして戒め、求めずして得、約せずして親しみ、令せずして信ず。之を往く無きに投ずれば、諸将の勇なり」と。此の謂いなり。〕魏の太祖、張繡を征す。一朝軍を引きて退く。繡自ら之を追わんとす。賈詡曰く「追うべからざるなり」と。繡従わず、果たして敗れて還る。詡、繡に謂いて曰く「促やかに更に之を追え。戦えば必ず勝たん」と。繡、散卒を収め、赴きて太祖を追い、戦いて果たして勝つ。還りて、詡に問いて曰く「繡は精兵を以て退軍を追い、而して公は必ず敗れんと曰う。退くに敗卒を以て勝兵を撃ち、而して公は必ず克たんと曰う。皆公の言の如し。何ぞ其れ反して皆験あるや」と。詡曰く「此れ知り易きのみ。軍勢百途、事一ならざるなり。将軍は善く兵を用うと雖も、曹公の敵に非ざるなり。魏の軍新たに退けば、曹公必ず自ら其の後ろを断つ。追兵精しと雖も、将既に敵せず、彼の士も亦た鋭し。故に必ず敗るるを知る。曹公の将軍を攻むるに失策無し。力未だ尽きずして還るは、必ず国内に故有ればなり。既に将軍を破らば、必ず軽軍にして速やかに進み、諸将を留めて後ろを断たしめん。諸将勇なりと雖も、亦た将軍の敵に非ざるなり。故に敗兵を用うと雖も勝つなり」と。繡乃ち其の能に服す。