甲陽軍鑑 / 品第四十三
こゝをもつて信玄公油斷强敵とある事を專ら思し召し關東·越後·美濃·尾張·三河諸國の武士をまねき、其國この武邊形義しつて戰ひ勝て後、猶以て甲のゝをしむるとの儀にて、すこしもそゝけたるはたらきこれなき信玄公の軍法也、此儀を勝賴公非義と思し召し、信玄公にましたる働き候、御心懸け卒爾に分別あそばす故、
新字:こゝをもつて信玄公油断强敵とある事を専ら思し召し関東·越後·美濃·尾張·三河諸国の武士をまねき、其国この武辺形義しつて戦ひ勝て後、猶以て甲のゝをしむるとの儀にて、すこしもそゝけたるはたらきこれなき信玄公の軍法也、此儀を勝頼公非義と思し召し、信玄公にましたる働き候、御心懸け卒爾に分別あそばす故、
書き下し
こゝをもつて信玄公油断强敵とある事を専ら思し召し関東·越後·美濃·尾張·三河諸国の武士をまねき、其国この武辺形義しつて戦ひ勝て後、猶以て甲のゝをしむるとの儀にて、すこしもそゝけたるはたらきこれなき信玄公の軍法也、此儀を勝頼公非義と思し召し、信玄公にましたる働き候、御心懸け卒爾に分別あそばす故、
現代語訳
ここをもって信玄公は油断なく、強敵とある事を専ら思し召し、関東・越後・美濃・尾張・三河諸国の武士を招き、その国々の武辺の形儀を知って戦い勝って後、なおもって兜の緒を締めるとの儀にて、少しもそそけた働きがこれない、信玄公の軍法である。この儀を勝頼公は非義と思し召し、信玄公にまさる働きが候と御心掛けられ、卒爾に分別あそばすゆえに、
解説
勝ってなお兜の緒を締める、という言葉がここに置かれている。信玄は諸国の武士を招いて敵国の作法を知ってから戦った。その慎重さを勝頼は非義、つまり煮え切らないと見て、父にまさる働きをしようとした。次の一行が長篠である。次の一行が長篠である。慎重さを煮え切らないと見て、父にまさる働きをしようとした、その読み違いがここに書き留められている。
この章句が説くこと
油断兜の緒慎重勝頼継承卒爾
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