甲陽軍鑑 / 品第四十三
口傳勘定奉行三人の衆形義各別也一靑沼助兵衛いかにも下輩成者をも近付、穿鑿する市川宮內助は、いかにも此方の理窟をあらく云ふて、大略の者は理を持ても申がたくして、かすめらるゝ樣に云ふなり一跡部美作は、有時はあらく、有時はやわらかに下す近き時もあり、勿論下手遠き時もあり、其品々によりて物を云ふ人なり、右之三人談合して、
新字:口伝勘定奉行三人の衆形義各別也一青沼助兵衛いかにも下輩成者をも近付、穿鑿する市川宮内助は、いかにも此方の理窟をあらく云ふて、大略の者は理を持ても申がたくして、かすめらるゝ様に云ふなり一跡部美作は、有時はあらく、有時はやわらかに下す近き時もあり、勿論下手遠き時もあり、其品々によりて物を云ふ人なり、右之三人談合して、
書き下し
口伝勘定奉行三人の衆形義各別也一青沼助兵衛いかにも下輩成者をも近付、穿鑿する市川宮内助は、いかにも此方の理窟をあらく云ふて、大略の者は理を持ても申がたくして、かすめらるゝ様に云ふなり一跡部美作は、有時はあらく、有時はやわらかに下す近き時もあり、勿論下手遠き時もあり、其品々によりて物を云ふ人なり、右之三人談合して、
現代語訳
口伝。勘定奉行三人の衆は、形儀がそれぞれ格別である。一、青沼助兵衛は、いかにも下輩なる者をも近付けて詮索する。市川宮内助は、いかにもこちらの理屈を荒く言うので、大方の者は理を持っていても申しがたくて、掠められるように言うのである。一、跡部美作は、ある時は荒く、ある時は柔らかに、下す近い時もあり、もちろん下手で遠い時もあり、その品々によって物を言う人である。右の三人が談合して、
解説

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