甲陽軍鑑 / 品第四十一
右五ヶ條の理なり一信玄公右の趣善惡のさた黑白のごとくわかり賞罰明らかなる事天のごとく地のごとくあそばし、よく法度をたて、よくさいはいを取て味方をいさめ、敵をおかし掠め給ふ事よろしき子細は、先關東の敵馬上の戰ひよくして馬を入乘きり、足輕上手なれば此敵には信玄公家老内藤修理又は小山田彌三郎をさしむけらるゝ、越後の謙信には高坂彈正に小幡山城入道をかいそへにさし添あてがひなさるゝ、三河武者家康衆は、こがへしよくする侍どもなりとて山縣三郞兵衞をさしむけ給ふ、三郎兵衛こいくさをよくもつ仁なり、
新字:右五ヶ条の理なり一信玄公右の趣善悪のさた黒白のごとくわかり賞罰明らかなる事天のごとく地のごとくあそばし、よく法度をたて、よくさいはいを取て味方をいさめ、敵をおかし掠め給ふ事よろしき子細は、先関東の敵馬上の戦ひよくして馬を入乗きり、足軽上手なれば此敵には信玄公家老内藤修理又は小山田弥三郎をさしむけらるゝ、越後の謙信には高坂弾正に小幡山城入道をかいそへにさし添あてがひなさるゝ、三河武者家康衆は、こがへしよくする侍どもなりとて山県三郎兵衛をさしむけ給ふ、三郎兵衛こいくさをよくもつ仁なり、
書き下し
右五ヶ条の理なり一信玄公右の趣善悪のさた黒白のごとくわかり賞罰明らかなる事天のごとく地のごとくあそばし、よく法度をたて、よくさいはいを取て味方をいさめ、敵をおかし掠め給ふ事よろしき子細は、先関東の敵馬上の戦ひよくして馬を入乗きり、足軽上手なれば此敵には信玄公家老内藤修理又は小山田弥三郎をさしむけらるゝ、越後の謙信には高坂弾正に小幡山城入道をかいそへにさし添あてがひなさるゝ、三河武者家康衆は、こがへしよくする侍どもなりとて山県三郎兵衛をさしむけ給ふ、三郎兵衛こいくさをよくもつ仁なり、
現代語訳
一、信玄公は右の趣を、善悪の沙汰が黒白のごとく分かり、賞罰の明らかなる事は天のごとく地のごとくあそばし、よく法度を立て、よく采配を取って味方を勇め、敵を侵し掠め給う事がよろしき子細は、まず関東の敵は馬上の戦いをよくして馬を入れ乗り切り、足軽が上手であれば、この敵には信玄公の家老、内藤修理または小山田弥三郎を差し向けられる。越後の謙信には、高坂弾正に小幡山城入道を介添えに差し添えて当てがいなさる。三河武者の家康衆は、小返しをよくする侍どもであるとて、山県三郎兵衛を差し向け給う。三郎兵衛は小いくさをよく持つ仁である。
解説
この章句が説くこと
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『甲陽軍鑑』品第四十一信玄公敵によりて家老衆に先を被仰付是をたとへば、薬師の病ひをよくみつけてあれば楽きくまじきやうなし、其病をみしらずして薬をあたふる事は推量のあてがひなれば、病者平癒なりといへどもあやうし、そのごとくに敵の行·武篇の位をよく見すへて、我人数大将どものうちにて其はたらき得たるをみすへ、是に合事大将の肝要に工夫する所なり一信玄公侍大将衆への御仕置に、
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『甲陽軍鑑』品第四十二明けくれ雑談を聞給ふ故なりと馬塲美濃高坂弾正に語る也信玄公軍法之御挨拶人一馬塲美濃軍の被成様申上る一山県三郎兵衛御働きなされてよきとすゝめ申上る一内藤修理何方へ御働きと指図申上る、其様子は北条家をかすめ給ふにも、伊豆か相摸か、はちかたか、関東にては新出·足利か、家康にては遠州か三河か信長東美濃か、扨は越後かと様子を積りて内藤申上る一高坂弾正者二ツなく敵国へふかく働き或は御一戦必ず御延引と計り申上、能く隠密するにより働きまへにしれず、但し侍大将衆は存候なり一文のいる事には小山田弥三郎をめして、七書·五経の古語をいはせて聞給ふ一何国先方衆にも疑ひ有るなしの御用心の事は土屋右衛門尉·三枝勘解由左衛門·真田喜兵衛·曽根内匠申上るに少しも私しなし一陣取、或は他国にて陣塲をみたつる事原隼人佐次第に被成候也一他国より御客来の挨拶、又は状文の取引は跡部大炊介·長坂長閑是の両人なり、
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『甲陽軍鑑』品第三十九次に信長とは切所をかまへ対陣をながくはり候はゝ、あなたは大軍、遠き陣ならば五畿内近江·伊勢、人数草臥、無理成働き仕る時分一しほのけ候はこ立なをす事有まじく候、家康は信玄死したると聞候はゝ駿河迄もはたらき申べく候間、駿河の国中へ入たて討取申べく候、小田原をば無理にかこつておしつぶし候とも手間は取まじく候、氏政定て信玄死したると聞候はこ人質をも、すてふりを可仕候間、
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『甲陽軍鑑』品第四十右の次に山県三郎兵衛曰く、一ツ塲所にて侍一二人走り廻りの中に、類親おほき方をましのやうに申、それは信玄公大きにきらひ給ふは、上かろければ、ひいき〳〵の沙汰にて悉皆大将もなく、縦へ大将ありても、未練なる君の下にて弓矢のせんさく、女人のいさかひにおほき方の申かつ様子に相似たり、大将よければ、ましはまし、おとり対々なるは同じ事と分るがよき大将のわざなり、かならずおほき人の中には、せんさくなしに、むざと我ひいきをほむる女侍沢山なり、去に付かたましき侍とは女を三人よせてかくげに候、
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『甲陽軍鑑』品第四十美濃殿程公事の理篇·批判致す人なきとの儀は、信玄公御工夫あさからず候へばこそ如此、さる間何方へ御馬を向られ、然も敵国へふかく働き有時も諸々の武士大小共に侍衆の事は不及申候、誠に雑人迄定て是はかつ事にてこそ御座あらめと思ひ、少もまくべきと存ぜざるは信玄公の智略賢くまします故如此、
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『甲陽軍鑑』品第四十三こゝをもつて信玄公油断强敵とある事を専ら思し召し関東·越後·美濃·尾張·三河諸国の武士をまねき、其国この武辺形義しつて戦ひ勝て後、猶以て甲のゝをしむるとの儀にて、すこしもそゝけたるはたらきこれなき信玄公の軍法也、此儀を勝頼公非義と思し召し、信玄公にましたる働き候、御心懸け卒爾に分別あそばす故、