甲陽軍鑑 / 品第四十一
第二に諸奉公人の忠節·忠功の手抦、大忠をもおしかすめ、大功をすこしくせんさくありて、善惡のさた大將のみだりなれば、家中の奉公人衆、善も知らす惡をも存ぜす贔負々々に物をいひ、忠節なき者共或は功もなきよわき人々、善惡同事のせんさくをよろこび、忠節·忠功の奉公人をそねみ、よくはいはずして結句そしる作法なれば、如件の心ばせにては、よき法度を惡きと存ずるに付、聞べきやう更になくして法度をそむけ共、右の賄賂にて事相賴むにより法度を破る奉公人共おほき事、
新字:第二に諸奉公人の忠節·忠功の手抦、大忠をもおしかすめ、大功をすこしくせんさくありて、善悪のさた大将のみだりなれば、家中の奉公人衆、善も知らす悪をも存ぜす贔負々々に物をいひ、忠節なき者共或は功もなきよわき人々、善悪同事のせんさくをよろこび、忠節·忠功の奉公人をそねみ、よくはいはずして結句そしる作法なれば、如件の心ばせにては、よき法度を悪きと存ずるに付、聞べきやう更になくして法度をそむけ共、右の賄賂にて事相頼むにより法度を破る奉公人共おほき事、
書き下し
第二に諸奉公人の忠節·忠功の手抦、大忠をもおしかすめ、大功をすこしくせんさくありて、善悪のさた大将のみだりなれば、家中の奉公人衆、善も知らす悪をも存ぜす贔負々々に物をいひ、忠節なき者共或は功もなきよわき人々、善悪同事のせんさくをよろこび、忠節·忠功の奉公人をそねみ、よくはいはずして結句そしる作法なれば、如件の心ばせにては、よき法度を悪きと存ずるに付、聞べきやう更になくして法度をそむけ共、右の賄賂にて事相頼むにより法度を破る奉公人共おほき事、
現代語訳
第二に、諸奉公人の忠節・忠功の手柄、大忠をも押し掠め、大功を少しく詮索することがあって、善悪の沙汰が大将のみだりであれば、家中の奉公人衆は、善も知らず悪をも存ぜず、贔屓贔屓に物を言い、忠節なき者ども、あるいは功もなき弱い人々が、善悪同事の詮索を喜び、忠節・忠功の奉公人を嫉み、よくは言わずして結局そしる作法であれば、この件のごとき心ばせでは、よき法度を悪しきと存ずるにつき、聞くべき様が更になくして法度に背く。そのうえ右の賄賂で事を頼むにより、法度を破る奉公人どもが多い事。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
『甲陽軍鑑』品第四十右の次に山県三郎兵衛曰く、一ツ塲所にて侍一二人走り廻りの中に、類親おほき方をましのやうに申、それは信玄公大きにきらひ給ふは、上かろければ、ひいき〳〵の沙汰にて悉皆大将もなく、縦へ大将ありても、未練なる君の下にて弓矢のせんさく、女人のいさかひにおほき方の申かつ様子に相似たり、大将よければ、ましはまし、おとり対々なるは同じ事と分るがよき大将のわざなり、かならずおほき人の中には、せんさくなしに、むざと我ひいきをほむる女侍沢山なり、去に付かたましき侍とは女を三人よせてかくげに候、
-
『甲陽軍鑑』品第四十扨て悪き事あり共類親広き近付知音のひいき多くある者は悪事を吉事と申なし、さやうのまつりごとにてむほんの儀もかくして悪事出来してから大将の耳へ入る共それは更に所詮なき儀なり、其みなもとは出頭人の親類うかへてまはり、或はよきひきもちたる奉公人共、下の手抦を中にいひ、中の手抦を上に申、又ひいきなきをば中にいひ、中を下にいふ事、ひいき〳〵の取さた故如此、
-
『甲陽軍鑑』品第四十七扨又志村金ノ助·むかさ与一郎公事終て翌日に諸侍へ二十人衆をもつてあひふれらるゝ、其趣きは、今度むかさ与一郎を逆心の科ほど申しつくる事は、彼のむかさ男武士道不穿鑿の科なれば、以後又かやうのさたにては、よき侍をあしういひ、あしき侍をほめたて、ひいき〳〵のさほうにては信玄が家の侍、大小共に善悪同事にて、よき武士も悉く勇なうして、第一は軍法見だりなるべし、軍法あしければ晴信勝利を失ふ事疑ひ有るまじ、勝利を失ふ事疑ひなければ、件のむかさ与一郎は晴信ほこさきの恥有るみなもと也、扨てこそ至て謀叛の科と同前なり、故に如件機ものにあぐると、あひふれさせ給ふなり、
-
『甲陽軍鑑』品第四十女はひいきも正にならず、にくむも正にならず、ふがいなくかざる人間なれば、男子道にかさる人をば女侍と信玄公の仰らるゝ、
-
『甲陽軍鑑』品第四十就中よき武士他国より来る類親なき者、手がらの儀ひいき〳〵に申につき、信玄公度々御諚に、おのれがぬき出たる手がらをして、大略にいはるゝは、何程口惜からんと分別してみよ、そこの程をかんがうる者は、かならず中悪き人の事をも、ありように云ふを、其手抦をそしらぬ侍の我身にかけて大きなる武篇をいたす儀と、又よし贔負おほうして種々作ことをいひ、
-
『甲陽軍鑑』品第四十我もよりの大略のはたらきを一といひてよき手抦専らにする人をおとりに申者、おのれが身にかけてあしうしなす女侍をも両方善悪共に信玄が書付て置たりと仰られ候、定て其方土屋殿は見給はぬかと山県申さるれば、右衛門尉当年も両度見申候、御家中つよき事浅からず、廿ヶ年こなたへは左様の者一人もなし、信虎の御代に信玄公十六歳よりあそばし置る、卅の御歳迄十五年の間に九人左様のあしき人有て、各よの事によそへて改易なれば、其親類衆へのためにむさと申さず候、若き衆にかたり候はど、やがて彼一類をも女侍のよし贔負也といはど、