甲陽軍鑑 / 品第六
若し以後萬事とり失ひ給はぬやうにとて如此扨て又右松永に心がわりして、堺への狀を信長公へまいらせし者は、元來筒井順慶が家人なり、松永祿を興へ賴もしくめしつかふといへ共、順慶信長方なるによつて其狀信長公へまいらする、然は武田の家諸牢人有之、譜代の主何方にも在世においては其牢人に密事をしらすべからず、たゝ大抵の事ばかり尤に候、但二代相傳の人は依宜不苦もの乎天正三年乙亥六月吉日高坂彈正忠長坂長閑老跡部大炊介殿參高坂彈正忠跡部大炊介殿參
新字:若し以後万事とり失ひ給はぬやうにとて如此扨て又右松永に心がわりして、堺への状を信長公へまいらせし者は、元来筒井順慶が家人なり、松永禄を興へ頼もしくめしつかふといへ共、順慶信長方なるによつて其状信長公へまいらする、然は武田の家諸牢人有之、譜代の主何方にも在世においては其牢人に密事をしらすべからず、たゝ大抵の事ばかり尤に候、但二代相伝の人は依宜不苦もの乎天正三年乙亥六月吉日高坂弾正忠長坂長閑老跡部大炊介殿参高坂弾正忠跡部大炊介殿参
書き下し
若し以後万事とり失ひ給はぬやうにとて如此扨て又右松永に心がわりして、堺への状を信長公へまいらせし者は、元来筒井順慶が家人なり、松永禄を興へ頼もしくめしつかふといへ共、順慶信長方なるによつて其状信長公へまいらする、然は武田の家諸牢人有之、譜代の主何方にも在世においては其牢人に密事をしらすべからず、たゝ大抵の事ばかり尤に候、但二代相伝の人は依宜不苦もの乎天正三年乙亥六月吉日高坂弾正忠長坂長閑老跡部大炊介殿参高坂弾正忠跡部大炊介殿参
現代語訳
もし以後、万事を取り失い給わぬようにとて、このごとし。さてまた、右の松永に心変わりして堺への状を信長公へ参らせた者は、元来、筒井順慶が家人である。松永が禄を与えて頼もしく召し使うといえども、順慶が信長方であるによって、その状を信長公へ参らせる。そうであれば、武田の家に諸牢人がいる。譜代の主がどこかに在世である場合には、その牢人に密事を知らせるべからず。ただ大抵の事ばかりがもっともである。ただし二代相伝の人は、よろしきに依りて苦しからぬものか。天正三年乙亥六月吉日、高坂弾正忠。長坂長閑老、跡部大炊介殿参る。
解説
この章句が説くこと
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尉繚子・十二陵悔いは疑わしきを任ずるに在り。
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