師導古典を学びたいすべての人に

甲陽軍鑑 / 品第六

さる間松永生害の時、我城へ和泉の堺より加勢をこせと有之、狀を信長へもち來る、信長公其使にほうびをとらせ、明々後日の夜半に忍びて、十人二十人づゝ加勢をまいらせん、此人を迎に給はれと、堺よりの返事のごとくに書とめて、松永方へさしこさる、其使とかたくあいづを定め、三日にあたる夜半に信長公の人數百人余り、松永が城へいれ、其夜城内を放火し、外よりもせめ入り、右に入たる人數と一つになりつめの城へをしこみ、永祿十三年庚午の年、松永彈正切腹す、

新字:さる間松永生害の時、我城へ和泉の堺より加勢をこせと有之、状を信長へもち来る、信長公其使にほうびをとらせ、明々後日の夜半に忍びて、十人二十人づゝ加勢をまいらせん、此人を迎に給はれと、堺よりの返事のごとくに書とめて、松永方へさしこさる、其使とかたくあいづを定め、三日にあたる夜半に信長公の人数百人余り、松永が城へいれ、其夜城内を放火し、外よりもせめ入り、右に入たる人数と一つになりつめの城へをしこみ、永禄十三年庚午の年、松永弾正切腹す、

書き下し

さる間松永生害の時、我城へ和泉の堺より加勢をこせと有之、状を信長へもち来る、信長公其使にほうびをとらせ、明々後日の夜半に忍びて、十人二十人づゝ加勢をまいらせん、此人を迎に給はれと、堺よりの返事のごとくに書とめて、松永方へさしこさる、其使とかたくあいづを定め、三日にあたる夜半に信長公の人数百人余り、松永が城へいれ、其夜城内を放火し、外よりもせめ入り、右に入たる人数と一つになりつめの城へをしこみ、永禄十三年庚午の年、松永弾正切腹す、

現代語訳

さて松永生害の時、我が城へ和泉の堺から加勢を寄こせという事で、状を信長へ持って来る。信長公はその使いに褒美を取らせ、明々後日の夜半に忍んで、十人二十人ずつ加勢を参らせよう、この人を迎えに給われと、堺よりの返事のごとくに書き留めて、松永方へ差し越された。その使いと固く合図を定め、三日にあたる夜半に信長公の人数百人余りを松永の城へ入れ、その夜、城内を放火し、外からも攻め入り、右に入れた人数と一つになって詰めの城へ押し込み、永禄十三年庚午の年、松永弾正が切腹する。

解説

味方を呼ぶ使いが敵に握られていた。しかも敵は返書まで偽って、こちらが自分から門を開ける形にしている。信長が戸部新左衛門に使ったのと同じ、筆と使いを押さえる手であって、この品はその手を最初と最後に一度ずつ置いた。信長が戸部新左衛門に使ったのと同じ、筆と使いを押さえる手である。この品は、その手を最初と最後に一度ずつ置いて閉じている。

この章句が説くこと

偽書使者合図落城松永

関連する章句

この一句を、あなたの毎日に。

古典の教えを、今の状況に当てはめて考えてみる——師導があなたの学びと選択を支えます。

師導で古典を学ぶ
いま登録すると、7日間すべての機能を無料でお試しいただけます。 無料ではじめる