甲陽軍鑑 / 品第六
松永彈正といふは三善修理太夫殿へ右筆に罷出、分別才覺をもつて立身をいたし、修理太夫殿逝去の後子息左京の太夫殿の御局と夫婦に罷成る、然間內緣をもつての故悉皆政道彈正がはからひとなる、依之三善家に傳はる家老松永と中不和、件の松永和州に居住しけるに、屏下地の爲にとて、我領地の柿の串の長さ間半に定め、其外種々貪り詔ひたる仕置なれは、民悉く迷惑す、
新字:松永弾正といふは三善修理太夫殿へ右筆に罷出、分別才覚をもつて立身をいたし、修理太夫殿逝去の後子息左京の太夫殿の御局と夫婦に罷成る、然間内縁をもつての故悉皆政道弾正がはからひとなる、依之三善家に伝はる家老松永と中不和、件の松永和州に居住しけるに、屏下地の為にとて、我領地の柿の串の長さ間半に定め、其外種々貪り詔ひたる仕置なれは、民悉く迷惑す、
書き下し
松永弾正といふは三善修理太夫殿へ右筆に罷出、分別才覚をもつて立身をいたし、修理太夫殿逝去の後子息左京の太夫殿の御局と夫婦に罷成る、然間内縁をもつての故悉皆政道弾正がはからひとなる、依之三善家に伝はる家老松永と中不和、件の松永和州に居住しけるに、屏下地の為にとて、我領地の柿の串の長さ間半に定め、其外種々貪り詔ひたる仕置なれは、民悉く迷惑す、
現代語訳
松永弾正というのは、三好修理太夫殿へ右筆として罷り出て、分別才覚をもって立身をいたし、修理太夫殿逝去の後、子息の左京太夫殿の御局と夫婦に罷り成る。そうであるから内縁をもってのゆえに、ことごとく政道は弾正の計らいとなる。これによって三好家に伝わる家老と松永は仲が不和となった。あの松永は和州に居住していたが、屏の下地のためといって、我が領地の柿の串の長さを間半に定め、そのほか種々に貪り詐った仕置きであるから、民はことごとく迷惑する。
解説
筆一本で上がってきた男が、主家の後家と結んで政道を握った。その手腕が向いた先が、柿の串の長さを決めて取り立てるという細かい収奪だった。才覚で登った者が、同じ才覚を下から取ることに使い始めた時が、この家の終わりの始まりになる。才覚で登った者が、同じ才覚を下から取ることに使い始めた時が、この家の終わりの始まりになる。柿の串の長さまで決めて取り立てた。
この章句が説くこと
立身才覚収奪内縁政道民
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『正法眼蔵随聞記』巻三有る夜示して云く、唐の太宗即位の後、故殿に栖み給へり、破損せる故に、湿気あがり、風霧冷かにして、玉体おかされつべし、臣下等造作すへき由を奏しければ、帝の言く、時き農節なり、民定めて愁ひあるべし、秋を待て造るべし、湿気に侵さるは地にうけられず、風雨に侵さるは天に合はざるなり、天地に背かば身あるべからず、民を煩はさずんば自ら天地に合ふべし、天地に合はゝ身を侵すべからず、と云ふて終に新宮を作らず、故殿に栖み給へり、
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