甲陽軍鑑 / 品第六
士卒手負たる時の用とて靑木葉迄七百駄つみ置、其後所々に札をたて、彈正が分別是まで也、此城にたらぬ所有之と存する者あらは僧俗によらず上下を不分申し來るべし、若し又申兼るに於ては如此高札にて可申、其意にまかせんと書とめて置之ヲ其翌日或札をみれば、數年人民をむさぼり給ふにより何も澤山に見へ候、但し運不足、命に事をかき給はん、此二ヶ條は誰をたぶらかして取り給はん、御分別有べし、松永彈正殿參、惣百姓共と書とめたり、
新字:士卒手負たる時の用とて青木葉迄七百駄つみ置、其後所々に札をたて、弾正が分別是まで也、此城にたらぬ所有之と存する者あらは僧俗によらず上下を不分申し来るべし、若し又申兼るに於ては如此高札にて可申、其意にまかせんと書とめて置之ヲ其翌日或札をみれば、数年人民をむさぼり給ふにより何も沢山に見へ候、但し運不足、命に事をかき給はん、此二ヶ条は誰をたぶらかして取り給はん、御分別有べし、松永弾正殿参、惣百姓共と書とめたり、
書き下し
士卒手負たる時の用とて青木葉迄七百駄つみ置、其後所々に札をたて、弾正が分別是まで也、此城にたらぬ所有之と存する者あらは僧俗によらず上下を不分申し来るべし、若し又申兼るに於ては如此高札にて可申、其意にまかせんと書とめて置之ヲ其翌日或札をみれば、数年人民をむさぼり給ふにより何も沢山に見へ候、但し運不足、命に事をかき給はん、此二ヶ条は誰をたぶらかして取り給はん、御分別有べし、松永弾正殿参、惣百姓共と書とめたり、
現代語訳
士卒が手負いした時の用にと、青木の葉まで七百駄積み置き、その後、所々に札を立てて、弾正の分別はこれまでである、この城に足りない所があると思う者があるならば、僧俗によらず上下を分かたず申して来るべし、もしまた申しかねる場合は、このように高札にて申すべし、その意に任せよう、と書き留めて置いた。その翌日、ある札を見れば、数年、人民をむさぼり給うにより、何もたくさんに見え候。ただし運が不足、命に事を欠き給わん。この二か条は誰をたぶらかして取り給わん、御分別あるべし、松永弾正殿参る、惣百姓ども、と書き留めてあった。
解説

人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
本の中身を見るこの章句が説くこと
関連する章句
-
史記 鄭世家鄭の桓公友は、周の厲王の少子にして宣王の庶弟なり。宣王立ちて二十二年、友初めて鄭に封ぜらる。封ぜられて三十三歳、百姓皆便とし之を愛す。幽王以て司徒と為す。周民を和集し、周民皆説び、河雒の閒、人便とし之を思ふ。司徒と為りて一歳、幽王褒后の故を以て、王室の治多く邪にして、諸侯或いは之に畔く。是に於て桓公、太史伯に問ひて曰く、「王室故多し、予安くにか死を逃れん」と。太史伯対へて曰く、「独り雒の東土、河済の南居るべし」と。公曰く、「何を以てか」と。対へて曰く、「地は虢・鄶に近し。虢・鄶の君は貪にして利を好み、百姓附かず。今公は司徒為り、民皆公を愛す。公誠に之に居らんことを請はば、虢・鄶の君、公の方に事を用ふるを見て、軽々しく公に地を分たん。公誠に之に居らば、虢・鄶の民は皆公の民なり」と。公曰く、「吾南のかた江上に之かんと欲す、何如」と。対へて曰く、「昔祝融は高辛氏の火正と為り、其の功大なり。而して其の周に於ては未だ興る者有らず。楚は其の後なり。周衰へば、楚必ず興らん。興らば、鄭の利に非ざるなり」と。公曰く、「吾西方に居らんと欲す、何如」と。対へて曰く、「其の民貪にして利を好む。久しく居り難し」と。公曰く、「周衰へば、何の国か興る者ぞ」と。対へて曰く、「斉・秦・晋・楚か。夫れ斉は姜姓、伯夷の後なり。伯夷は堯を佐けて礼を典る。秦は嬴姓、伯翳の後なり。伯翳は舜を佐けて百物を懐柔す。楚の先に及ぶまで、皆嘗て天下に功有り。而して周の武王紂に克ちて後、成王叔虞を唐に封ず。其の地阻険なり。此の有徳を以て周の衰ふると并び、亦必ず興らん」と。桓公曰く、「善し」と。是に於て卒に王に言ひ、東のかた其の民を雒の東に徙す。而して虢・鄶果たして十邑を献じ、竟に之を国とす。二歳にして、犬戎幽王を驪山の下に殺し、并せて桓公を殺す。鄭人共に其の子掘突を立つ、是を武公と為す。武公十年、申侯の女を娶りて夫人と為す、武姜と曰ふ。
-
『家道訓』巻之二・総論中一もろこしの諺に、かねて後の用心なきことをそしりて曰、三月に桑をうゑんことをおもひ、六月に塘を掘らんことをおもふ。言ふ意は、三月蠶を飼ふ時にいたりて、はじめて桑をうゑんことをおもひ出し、六月旱する時にいたりて、はじめて塘を掘らんことをおもひ出すは、かねて後の用心をせざる人のゆだんなる事をいへり。遠き慮なければ、必ず近き憂あり。家ををさむるには、万のこと後を慮りて、かねてはやく其の用意をすべし。如此すれば、時にのぞみてにはかに行きあたりくるしまず。中庸にも、凡事前に定むれば不跲といへり。初にうれへざれば、をはりに楽なし。
-
『甲陽軍鑑』品第十一縦へば番匠か大和国ならの大仏殿を立るに、二尺·三尺のかねをもつて立て、二間四方のらいさき堂をも右のかねにて仕る、すこしき備を立て、大人数には組合せよからん、大備へに組み其陣にて用有るとて、人数をわくれば、其備減りたるとて上下力をおとす者なり、其所に当る敵も大にきほふ者なり、惣じて大備への崩れ立ちたるは、何たる名大将とても、其下の剛の者共も支配成るまじきぞ、
-
『墨子』七患故に食に備粟無ければ、以て凶饑を待つ可からず。庫に備兵無ければ、義有りと雖も、無義を征する能わず。城郭、備え全からざれば、以て自ら守る可からず。心に備慮無ければ、以て卒に應ずる可からず。是の故に慶忌は之を去るの心無くんば、輕々しく出づる能わず。夫れ桀に湯を待つの備無し、故に放たる。紂に武王を待つの備無し、故に殺さる。桀紂は貴きこと天子と為り、富は天下を有つ。然れども皆な百里の君に滅亡せらるるは、何ぞや。富貴有りて備えを為さざればなり。故に備えなる者は、國の重んずる所なり。
-
『墨子』備城門城下の里中の家人、各おの葆すること亦た左右前後、城上の如くす。城小さく人衆ければ、鄉の老弱を葆離し、國中及び大城に也す。㓂至らば、必ず攻めんことを度り、主人、先ず城編を削る。唯だ燒くこと勿かれ。冦、城下に在らば、時に吏卒の署を換え、而も亦た養を換うる毋かれ。養は城に上るを得る毋かれ。宼、城下に在らば、諸盆罋を牧め、城下に耕積す。百步に一積、積は五百。城門の内、室有るを得ず。周官・桓吏を為り、四尺を倪と為す。行棧の内閈、二關一堞。城場の外を除き、池を去ること百步、墻垣樹木の小大、盡く壊し代え除去す。寇の從りて來たる所、若しくは昵道・傒近、若しくは城塲は、皆な扈樓を為る。竹箭を天中に立つ。守堂の下に大樓を為り、髙く城に臨む。堂下、周く散じ、道中、客に應ず。客、見ゆるを待つ。時に三老・左葆・官中の者を召し、與に事を計る。之を為すこと奈何と。子墨子曰く、穴士の守を問う。邪びに穴を備うる者は、城内に髙樓を為りて以て此の十四者を謹み具うれば、則ち民も亦た上を疑わず。然る後に城、守る可し。十四者、一も無くんば、則ち善き者と雖も守る能わざるなり。
-
『講孟余話』離婁上 第九章七年の病に三年の艾の譬喩、尤も人口に膾炙す。実に古今の格言なり。既往は咎めずして可なり、来者を以て是れを論ぜん。夷虜の病は七年や十年の病に非ず、数十百年の病なり。守備の艾は一日は一日の功あり、十日は十日、百日は百日、一年は一年、三年は三年の功あり。今日より艾を取りて乾すべし。猶予することなかれ。又学業の事に就きて考ふべし。人皆云ふ、余をして今十年を早からしめば、何の業を成さん、何の芸を修めんと。是れ皆七年の病に三年の艾の譬へなり。即日より思ひ立ちて業を始め芸を試むべし。何ぞ年の早晩を論ぜんや。諺に云ふ、思ひ立つたが吉日と。正に艾を求むるの良術なり。