甲陽軍鑑 / 品第六
我れ十七歲より十九歳の六月願成就して其年の暮迄四國を順禮す、廿歲の夏伊豫土佐讃岐三ヶ國の士卒と船軍有し時に、我旗下の船をもつて第一の先をかけ、敵を船中におさへ、自身長刀をもつて手下に十二三人きりふせて合戰にかつ、其後も三ケ國と數度及合戰一終に讃岐を手に入れ、伊豫土佐をもと言ひしかど家老の者の諫言に、伊豫土佐の者共長曾我部さいわうじ河野字都宮を始め、悉く安藝の元就の旗下に成たりと云ふ、
新字:我れ十七歳より十九歳の六月願成就して其年の暮迄四国を順礼す、廿歳の夏伊予土佐讃岐三ヶ国の士卒と船軍有し時に、我旗下の船をもつて第一の先をかけ、敵を船中におさへ、自身長刀をもつて手下に十二三人きりふせて合戦にかつ、其後も三ケ国と数度及合戦一終に讃岐を手に入れ、伊予土佐をもと言ひしかど家老の者の諫言に、伊予土佐の者共長曽我部さいわうじ河野字都宮を始め、悉く安芸の元就の旗下に成たりと云ふ、
書き下し
我れ十七歳より十九歳の六月願成就して其年の暮迄四国を順礼す、廿歳の夏伊予土佐讃岐三ヶ国の士卒と船軍有し時に、我旗下の船をもつて第一の先をかけ、敵を船中におさへ、自身長刀をもつて手下に十二三人きりふせて合戦にかつ、其後も三ケ国と数度及合戦一終に讃岐を手に入れ、伊予土佐をもと言ひしかど家老の者の諫言に、伊予土佐の者共長曽我部さいわうじ河野字都宮を始め、悉く安芸の元就の旗下に成たりと云ふ、
現代語訳
我は十七歳から十九歳の六月に願成就して、その年の暮れまで四国を順礼する。二十歳の夏、伊予・土佐・讃岐三か国の士卒と船軍があった時に、我が旗下の船をもって第一の先を駆け、敵を船中に押さえ、自身が長刀をもって手下に十二、三人斬り伏せて合戦に勝つ。その後も三か国と数度合戦に及び、ついに讃岐を手に入れ、伊予・土佐をもと言ったけれども、家老の者の諫言により、伊予・土佐の者どもは長曾我部・西園寺・河野・宇都宮をはじめ、ことごとく安芸の元就の旗下になったという。
解説

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史記 范雎蔡沢列伝蔡沢笑ひて謝して去り、その御者に謂ひて曰く、「吾粱を持し肥を刺歯し、馬を躍らせて疾く駆け、黄金の印を懐き、紫綬を要に結び、人主の前に揖譲し、肉を食らひ富貴なること、四十三年にして足れり」と。去りて趙に之き、逐はる。韓・魏に之き、釜鬲を涂に奪はるるに遇ふ。応侯の鄭安平・王稽を任じて皆重罪を秦に負ひ、応侯内に慚づるを聞き、蔡沢乃ち西して秦に入る。将に昭王に見えんとし、人をして宣言せしめて以て応侯を感怒せしめて曰く、「燕の客蔡沢は、天下の雄俊弘弁の智士なり。彼一たび秦王に見えば、秦王必ず君を困しめて君の位を奪はん」と。応侯聞きて曰く、「五帝三代の事、百家の説、吾既にこれを知る。衆口の弁、吾皆これを摧く。是れ悪んぞ能く我を困しめて我が位を奪はんや」と。人をして蔡沢を召さしむ。蔡沢入り、則ち応に揖す。応侯固より快からず、これに見ゆるに及び、また倨る。応侯因りてこれを譲めて曰く、「子嘗て宣言して我に代はりて秦に相たらんと欲すと、寧ろこれ有るか」と。対へて曰く、「然り」と。応侯曰く、「請ふその説を聞かん」と。蔡沢曰く、「吁、君何ぞこれを見ることの晩きや。夫れ四時の序、功を成す者は去る。夫れ人生まれて百体堅彊、手足便利、耳目聡明にして心聖智なるは、豈に士の願ひに非ずや」と。応侯曰く、「然り」と。蔡沢曰く、「仁を質とし義を秉り、道を行ひ徳を施し、志を天下に得、天下懐楽敬愛してこれを尊慕し、皆願ひて以て君王と為す、豈に弁智の期に非ずや」と。応侯曰く、「然り」と。蔡沢また曰く、「富貴顕栄、万物を成理し、各々その所を得しむ。性命寿長、その天年を終へて夭傷せず。天下その統を継ぎ、その業を守り、これを無窮に伝ふ。名実純粋、沢千里に流れ、世世これを称して絶ゆる無く、天地と終始す。豈に道徳の符にして聖人の所謂吉祥善事なる者に非ずや」と。応侯曰く、「然り」と。