甲陽軍鑑 / 品第六
馬をならふに片手綱にてのらんことをこのむ、馬訓ゆるもの怒て云ふ、片手綱と云は能々馬を乘覺へ功者に成てのこと、片手綱にてめすべきに未た鍛練もまいらずして左樣にめせは、其身なりも惡しくおはします程に、必らず片手綱無用と制す、大膳申やう侍の將たらん者馬よりおりて鑓を合せ、高名する事多くは有まじ、馬上にて下知をし其まゝ勝負を决せんならは片手綱を達者に覺てこそと、おさな心に申せしごとく度々馬上にて勝負を决す、
新字:馬をならふに片手綱にてのらんことをこのむ、馬訓ゆるもの怒て云ふ、片手綱と云は能々馬を乗覚へ功者に成てのこと、片手綱にてめすべきに未た鍛練もまいらずして左様にめせは、其身なりも悪しくおはします程に、必らず片手綱無用と制す、大膳申やう侍の将たらん者馬よりおりて鑓を合せ、高名する事多くは有まじ、馬上にて下知をし其まゝ勝負を決せんならは片手綱を達者に覚てこそと、おさな心に申せしごとく度々馬上にて勝負を決す、
書き下し
馬をならふに片手綱にてのらんことをこのむ、馬訓ゆるもの怒て云ふ、片手綱と云は能々馬を乗覚へ功者に成てのこと、片手綱にてめすべきに未た鍛練もまいらずして左様にめせは、其身なりも悪しくおはします程に、必らず片手綱無用と制す、大膳申やう侍の将たらん者馬よりおりて鑓を合せ、高名する事多くは有まじ、馬上にて下知をし其まゝ勝負を決せんならは片手綱を達者に覚てこそと、おさな心に申せしごとく度々馬上にて勝負を決す、
現代語訳
馬を習うのに、片手綱で乗ることを好む。馬を教える者が怒って言う、片手綱というのは、よくよく馬の乗り方を覚え、功者になってからの事だ。片手綱でお乗りになるべきなのに、まだ鍛練もなさらずそのようにお乗りになれば、その身なりも悪くおありになるほどに、必ず片手綱は無用だと制する。大膳が申す様は、侍で将たらん者は、馬より下りて槍を合わせ高名する事は多くはあるまい。馬上で下知をし、そのまま勝負を決するのであれば、片手綱を達者に覚えてこそ、と。幼な心に申したごとく、たびたび馬上で勝負を決した。
解説

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