甲陽軍鑑 / 品第四十
然れば右四ツの中にまづはじめにならわん事は馬なり、二に兵法、三に弓、四に鐵炮と申て馬を最前に習ふは馬と申物、軍塲にて何たる大身も代をたて人を賴みてのらぬなり、さて兵法は同切あふ事も代のならぬわざなるは源賴朝公さへ曾我の五郞夜討の時、長刀を取て出給ふ間如此、
新字:然れば右四ツの中にまづはじめにならわん事は馬なり、二に兵法、三に弓、四に鉄炮と申て馬を最前に習ふは馬と申物、軍塲にて何たる大身も代をたて人を頼みてのらぬなり、さて兵法は同切あふ事も代のならぬわざなるは源頼朝公さへ曽我の五郎夜討の時、長刀を取て出給ふ間如此、
書き下し
然れば右四ツの中にまづはじめにならわん事は馬なり、二に兵法、三に弓、四に鉄炮と申て馬を最前に習ふは馬と申物、軍塲にて何たる大身も代をたて人を頼みてのらぬなり、さて兵法は同切あふ事も代のならぬわざなるは源頼朝公さへ曽我の五郎夜討の時、長刀を取て出給ふ間如此、
現代語訳
しからば、右の四つの中でまず初めに習おう事は馬である。二に兵法、三に弓、四に鉄砲と申して、馬を最前に習うのは、馬と申す物は軍場にて、いかなる大身も代を立て人を頼んでは乗らぬのである。さて兵法は同じく、斬り合う事も代の成らぬ業であるのは、源頼朝公さえ曾我の五郎の夜討ちの時、長刀を取って出給うあいだ、このとおりである。
解説
習う順を、人に代わってもらえるかどうかで決めている。馬に乗るのも刀を取るのも、身分がいくら高くても代理は立てられない。頼朝でさえ自分で長刀を取ったという例が、その証しとして置かれている。頼朝でさえ自分で長刀を取ったという例が、その証しとして置かれている。代理を立てられない技から先に習え、という順序である。
この章句が説くこと
馬兵法順序代理頼朝山県
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