甲陽軍鑑 / 品第六
歸りて男女殿原に今日は何をか宮島の明神に願奉りたると問ひ給ふ、皆人をさなき人の氣にあふやうに奉公冥加壽命などゝそれ〳〵に答ふ、其中にもりいたす男が申す樣、我等にはたゝ此殿に中國を皆持せまいらせたきと祈誓いたしてありといへば、元就の云ふ、中國をみなとは愚なり、日本を持へきと祈誓申さん物をといはれければ、皆人まづ此あたりを悉くとり給ひてこそと申せば、元就腹立して日本を皆とらんと思はば漸く中國を取べし、中國をとらんと思はゝ何として中國をも持べきとのたもふ、其御年十二歲と聞く、
新字:帰りて男女殿原に今日は何をか宮島の明神に願奉りたると問ひ給ふ、皆人をさなき人の気にあふやうに奉公冥加寿命などゝそれ〳〵に答ふ、其中にもりいたす男が申す様、我等にはたゝ此殿に中国を皆持せまいらせたきと祈誓いたしてありといへば、元就の云ふ、中国をみなとは愚なり、日本を持へきと祈誓申さん物をといはれければ、皆人まづ此あたりを悉くとり給ひてこそと申せば、元就腹立して日本を皆とらんと思はば漸く中国を取べし、中国をとらんと思はゝ何として中国をも持べきとのたもふ、其御年十二歳と聞く、
書き下し
帰りて男女殿原に今日は何をか宮島の明神に願奉りたると問ひ給ふ、皆人をさなき人の気にあふやうに奉公冥加寿命などゝそれ〳〵に答ふ、其中にもりいたす男が申す様、我等にはたゝ此殿に中国を皆持せまいらせたきと祈誓いたしてありといへば、元就の云ふ、中国をみなとは愚なり、日本を持へきと祈誓申さん物をといはれければ、皆人まづ此あたりを悉くとり給ひてこそと申せば、元就腹立して日本を皆とらんと思はば漸く中国を取べし、中国をとらんと思はゝ何として中国をも持べきとのたもふ、其御年十二歳と聞く、
現代語訳
帰って男女の殿原に、今日は何を宮島の明神に願い奉ったかと問われる。皆は幼い人の気に合うように、奉公冥加や寿命などと、それぞれに答える。その中に守り役をいたす男が申す様は、我らにはただ、この殿に中国を皆持たせ参らせたいと祈誓いたしております、と言えば、元就が言う、中国を皆とは愚かである。日本を持つべきと祈誓申さんものを、と言われたので、皆は、まずこのあたりをことごとく取り給いてこそ、と申す。すると元就は腹を立てて、日本を皆取ろうと思うならば、ようやく中国を取るべし。中国を取ろうと思うならば、どうして中国をも持てようか、とおっしゃる。その御年は十二歳と聞く。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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孟子・盡心章句上公孫丑曰く、「伊尹曰く、『予、不順に狎れしめず。』太甲を桐に放ち、民大いに悅ぶ。太甲賢となる。又之を反し、民大いに悅ぶ。賢者の人臣為るや、其の君、賢ならざれば、則ち固より放つ可きか。」孟子曰く、「伊尹の志有れば、則ち可なり。伊尹の志無ければ、則ち篡うなり。」
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荀子・大略篇公行子之(こうこうしし)、燕(えん)に之(ゆ)き、曾元(そうげん)に塗(みち)に遇(あ)ひて曰く、「燕君(えんくん)は何如(いかん)」と。曾元曰く、「志(こころざし)卑(ひく)し。志卑き者は物を軽んじ、物を軽んずる者は助けを求めず。苟(いやしく)も助けを求めずんば、何ぞ能(よ)く挙(あ)がらん。氐羌(ていきょう)の虜(とりこ)たるや、其の係累(けいるい)せらるるを憂へずして、其の焚(や)かれざるを憂ふ。夫(か)の秋毫(しゅうごう)を利として、国家を害(そこな)ひ靡(ほろぼ)す、然も且(か)つ之を為す、幾(あ)に知計(ちけい)を為すと為さんや」と。
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史記 伯夷列伝子曰く、「道同じからざれば相ひ為に謀らず」と。亦た各々其の志に従ふなり。故に曰く、「富貴もし求む可くんば、執鞭の士と雖も、吾も亦た之を為さん。如し求む可からずんば、吾が好む所に従はん」と。「歳寒くして、然る後に松柏の凋むに後るるを知る」。世を挙げて混濁して、清士乃ち見はる。豈に其の重んずること彼の若く、其の軽んずること此くの若くなるを以てせんや。
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論語・里仁篇子曰わく、いやしくも仁に志せば、悪しきこと無し。
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孟子・盡心章句下孟子曰く、「名を好むの人は、能く千乘の國を讓る。苟くも其の人に非ざれば、簞食豆羹も色に見わる。」
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葉隠・聞書第一一度打向へば、最早(もはや)其の道に入りたるなり。名人も人なり、我も人なり、何しに劣るべきかと思ひて、一度志すところが即ち聖人なり。後(のち)に修行して聖人に成り給ふにはあらず。十有五にして学に志すとは、即ち聖人なり。初発心時(しょほっしんじ)辨成正覚(べんじょうしょうがく)ともこれあるなり。