甲陽軍鑑 / 品第六
其夜は大高の城に逗留し玉ひ翌日岡崎より今川の家老以使札大高の城あけ來り給へとの事也、即其狀を取て證據とし元康歸陣し給ふ、此趣信玄公詳に糺て聞給ひ、元康は武道分別兩方達したる人也、於日本若手の武士ならんと不斜ほめ給ふ、
新字:其夜は大高の城に逗留し玉ひ翌日岡崎より今川の家老以使札大高の城あけ来り給へとの事也、即其状を取て證拠とし元康帰陣し給ふ、此趣信玄公詳に糺て聞給ひ、元康は武道分別両方達したる人也、於日本若手の武士ならんと不斜ほめ給ふ、
書き下し
其夜は大高の城に逗留し玉ひ翌日岡崎より今川の家老以使札大高の城あけ来り給へとの事也、即其状を取て證拠とし元康帰陣し給ふ、此趣信玄公詳に糺て聞給ひ、元康は武道分別両方達したる人也、於日本若手の武士ならんと不斜ほめ給ふ、
現代語訳
その夜は大高の城に逗留され、翌日、岡崎から今川の家老が使札をもって、大高の城を明けて来られよとの事である。すなわちその状を取って証拠とし、元康は帰陣された。この趣を信玄公が詳しく糺して聞かれ、元康は武道と分別の両方に達した人である、日本において若手の武士であろうと、なのめならず褒められた。
解説
待った甲斐は、味方からの書状という形で来た。しかも口頭ではなく状を取り、証拠として持って帰っている。あとで誰にも文句を言わせない形まで作ったところを、信玄は武道と分別の両方と評した。この評語がそのまま、この品の家康評になっている。あとで誰にも文句を言わせない形まで作ったところを、信玄は武道と分別の両方と評した。この評語が、そのままこの品の家康評になっている。
この章句が説くこと
証拠書状分別武道撤退評価
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