甲陽軍鑑 / 品第四十八
こゝに則四奉行穴山少路、新立寺院主の御坊へ書狀を付、林生坊·昌沈坊二人の僧を御藏前へ召寄、扨大藏左衛門と、ぬき名加兵衛·玉越杢左衞門二人よび引合せて對决さた有て、法華坊主兩人ながら負て申樣我々計りにて御座なしとて、法花寺の中をかぞへ立いづれの寺にも五人六人候と申、我寺の內よりも十人計り訴人して淸僧は二三人ならでなし、新立寺にて脇坊十五間の間にさへ十二人あれば、甲州中には在郷へかけては二百人も科におとすこと今の林生坊昌沈坊公事にてなり、
新字:こゝに則四奉行穴山少路、新立寺院主の御坊へ書状を付、林生坊·昌沈坊二人の僧を御蔵前へ召寄、扨大蔵左衛門と、ぬき名加兵衛·玉越杢左衛門二人よび引合せて対決さた有て、法華坊主両人ながら負て申様我々計りにて御座なしとて、法花寺の中をかぞへ立いづれの寺にも五人六人候と申、我寺の内よりも十人計り訴人して清僧は二三人ならでなし、新立寺にて脇坊十五間の間にさへ十二人あれば、甲州中には在郷へかけては二百人も科におとすこと今の林生坊昌沈坊公事にてなり、
書き下し
こゝに則四奉行穴山少路、新立寺院主の御坊へ書状を付、林生坊·昌沈坊二人の僧を御蔵前へ召寄、扨大蔵左衛門と、ぬき名加兵衛·玉越杢左衛門二人よび引合せて対決さた有て、法華坊主両人ながら負て申様我々計りにて御座なしとて、法花寺の中をかぞへ立いづれの寺にも五人六人候と申、我寺の内よりも十人計り訴人して清僧は二三人ならでなし、新立寺にて脇坊十五間の間にさへ十二人あれば、甲州中には在郷へかけては二百人も科におとすこと今の林生坊昌沈坊公事にてなり、
現代語訳
ここにすなわち四奉行が穴山小路の新立寺院主の御坊へ書状を付け、林生坊・昌沈坊の二人の僧を御蔵前へ召し寄せ、さて大蔵左衛門と、ぬきな加兵衛・玉越杢左衛門の二人を呼び引き合わせて対決の沙汰があって、法華坊主が両人ながら負けて申す様は、我々ばかりにて御座なしとて、法花寺の中を数え立て、いずれの寺にも五人六人候と申す。我が寺の内よりも十人ばかり訴人して、清僧は二三人ならでなし。新立寺にて脇坊十五間のあいだにさえ十二人あれば、甲州中には在郷へかけては二百人も科に落とす事、今の林生坊・昌沈坊の公事にてなり。
解説
この章句が説くこと
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『甲陽軍鑑』品第四十八能登国へぞ遣られける甲府法花宗の僧公事の事一甲州府中穴山少路に新立寺と申、日蓮宗の寺あり、是に脇寺十四五有、此十四五の中に林生坊·昌沈坊と云ふ坊主、女房を持、是を近所の町人ぬきな加兵衛·玉越杢左衛門両人にてよくとちの女房迯ぐることならぬ様に隣の坊主に手形をさせ、扨訴人岩間大蔵左衛門方へ告る、又此大蔵左衛門訴人と成、謂は数度の臆病を仕る故也、
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『甲陽軍鑑』品第四十八御蔵のまへにて弟子あに善万坊、弟子おとうと琳切両僧の公事有そのとき甲府の四奉行は、今井伊勢守·武藤三河守·桜井安芸守·今福浄閑さばきなり、四奉行一二三四の図とりにて今福浄閑一くじなるゆへ浄閑申さるゝは、おとうと弟子琳切が理なれば、此寺は弟でしの寺に仕候へ無智の僧いやと申さば寺を引出し縦へば還俗なりともくるしからず候とさばく、二のゝは桜井安芸守なれば桜井申さるゝ、いかに無智の僧成とも出家をさやうにあらくあてがふては慈悲結縁かくるなりとさばく、
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『甲陽軍鑑』品第四十八此僧あわてゝ衣のひほを結ぶ男大きにいかり惣別にくしと存るに、如此のもやう共更に聞へぬ事なりと様々口説を申かけ、おさへて坊主を縛りひとつの宗旨の僧達、近郷よりあまたきて重ねての為なりとて、目安書て所のしゆごへあぐれば、乍仮初出家の儀は、私しさばきならずして代官衆の人をそへ甲府の四奉行へあぐる、奉行聞給ひ出家の非におとさんとすれば、何にても證拠なし百姓無理と申さんには様子あやうし、是程少分成義に鉄火或はみたけの鐘と申にもあらず、色々ひはんせらるれ共、奉行四人の分別に不叶して無拠上へ披露いたさるゝ、
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『甲陽軍鑑』品第四十八さりながら、いやしくも仏体をまぬる出家に證拠もなき事にそこつになはをかくる事、私しにては勿体なし、扨また彼百姓狼籍なりとて頸を切りなば、相手出家成ゆへ其慈悲かくる間此百姓百日籠舎成、彼野人の女房は此男にそわんも離別も女人次第夫は申に及ばず又此出家いかにも片方に住、無学の僧にても得経に背くは曲事たり、され共右百姓の申儀證拠なければ是罪科にも成がたし、経文相違の事計也、経文相違の出家を其儘をかばいかゞなり、経に背かざる様に心ざし、他国へまいり出家を立べし、我分国をはらへとて、青沼介兵衛·市川宮内ノ助、両人に被仰付その遠国をたゞし、
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『甲陽軍鑑』品第四十八扨また諸人の批判には、さいげんなき法花坊機にあがらん、又はあぶられんとのさた也、奉行衆も此以前岩村田法華坊主、何にても證拠なきさへ以て御分国をはらはるゝ、まして是は大方の御成敗にては有間敷、いそぎ改め出し、日記に付、言上申べしとて書立を以て申上る、
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『甲陽軍鑑』品第四十八縦へ公事の理非は如何もあれ、十方旦那を頼む坊主に、かさつを申かくるは、勿体なし何れの道にもぶせんさくなる儀は武士の大に嫌ふ儀也、此公事此出家の理也とて、尊体寺法順思ふさま〳〵公事に勝謂れは、彼町人出家を侮り理もなき公事を仕候間、科銭の上に三十日籠舎と仰付らるゝ其後彼法順に信玄公意見を云んとて、御諚なさるゝは心强きことは尤もなれども、重てケ様の公事は必ず無用たるべし、古人も云ひ置能学下恵不師其跡と聞、是は以来の為なりと有て物をば出家の申次第、蔵より出し女人は奉行へ渡すべしとさばき給ふは、諸人の批判に違て各別なる故書記す、