甲陽軍鑑 / 品第四十八
縱へ公事の理非は如何もあれ、十方旦那を賴む坊主に、かさつを申かくるは、勿体なし何れの道にもぶせんさくなる儀は武士の大に嫌ふ儀也、此公事此出家の理也とて、尊体寺法順思ふさま〳〵公事に勝謂れは、彼町人出家を侮り理もなき公事を仕候間、科錢の上に三十日籠舍と仰付らるゝ其後彼法順に信玄公意見を云んとて、御諚なさるゝは心强きことは尤もなれども、重てケ樣の公事は必ず無用たるべし、古人も云ひ置能學下惠不師其跡と聞、是は以來の爲なりと有て物をば出家の申次第、藏より出し女人は奉行へ渡すべしとさばき給ふは、諸人の批判に違て各別なる故書記す、
新字:縦へ公事の理非は如何もあれ、十方旦那を頼む坊主に、かさつを申かくるは、勿体なし何れの道にもぶせんさくなる儀は武士の大に嫌ふ儀也、此公事此出家の理也とて、尊体寺法順思ふさま〳〵公事に勝謂れは、彼町人出家を侮り理もなき公事を仕候間、科銭の上に三十日籠舎と仰付らるゝ其後彼法順に信玄公意見を云んとて、御諚なさるゝは心强きことは尤もなれども、重てケ様の公事は必ず無用たるべし、古人も云ひ置能学下恵不師其跡と聞、是は以来の為なりと有て物をば出家の申次第、蔵より出し女人は奉行へ渡すべしとさばき給ふは、諸人の批判に違て各別なる故書記す、
書き下し
縦へ公事の理非は如何もあれ、十方旦那を頼む坊主に、かさつを申かくるは、勿体なし何れの道にもぶせんさくなる儀は武士の大に嫌ふ儀也、此公事此出家の理也とて、尊体寺法順思ふさま〳〵公事に勝謂れは、彼町人出家を侮り理もなき公事を仕候間、科銭の上に三十日籠舎と仰付らるゝ其後彼法順に信玄公意見を云んとて、御諚なさるゝは心强きことは尤もなれども、重てケ様の公事は必ず無用たるべし、古人も云ひ置能学下恵不師其跡と聞、是は以来の為なりと有て物をば出家の申次第、蔵より出し女人は奉行へ渡すべしとさばき給ふは、諸人の批判に違て各別なる故書記す、
現代語訳
たとえ公事の理非はいかんもあれ、十方の旦那を頼む坊主にがさつを申しかけるは勿体なし。いずれの道にも無詮索なる儀は武士の大いに嫌う儀なり。この公事はこの出家の理なりとて、尊体寺の法順は思うさまざま公事に勝つ。いわれは、かの町人が出家を侮り理もなき公事を仕り候あいだ、科銭の上に三十日籠舎と仰せ付けらるる。その後、かの法順に信玄公が意見を言わんとて御諚なさるるは、心強き事はもっともなれども、重ねてかような公事は必ず無用たるべし。古人も言い置く、よく柳下恵に学びてその跡を師とせずと聞く。これは以来のためなりとあって、物をば出家の申す次第に蔵より出し、女人は奉行へ渡すべしと裁き給うは、諸人の批判に違いて各別なる故に書き記す。
解説
この章句が説くこと
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『甲陽軍鑑』品第四十八公事になりて跡先の算用をきはむれば、出家金子の方に一度取たると申て女をかへさず、弾左衛門いきたる内、女とられて後も、少しつゝは年々に返弁いたすは此女を取かへさんといふ事、證人いくたりもありといへども、以上に法順女をもどさねば科におとして、彼僧を糺明より外は別になし、さありて仏体をまなぶ出家を、楚忽に糺明いたす事、何と無智の僧にても下々にてならざるやうに、信玄公常々の御仕置なれば、奉行則屋形へ申上らるゝ故、
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『甲陽軍鑑』品第四十八さりながら、いやしくも仏体をまぬる出家に證拠もなき事にそこつになはをかくる事、私しにては勿体なし、扨また彼百姓狼籍なりとて頸を切りなば、相手出家成ゆへ其慈悲かくる間此百姓百日籠舎成、彼野人の女房は此男にそわんも離別も女人次第夫は申に及ばず又此出家いかにも片方に住、無学の僧にても得経に背くは曲事たり、され共右百姓の申儀證拠なければ是罪科にも成がたし、経文相違の事計也、経文相違の出家を其儘をかばいかゞなり、経に背かざる様に心ざし、他国へまいり出家を立べし、我分国をはらへとて、青沼介兵衛·市川宮内ノ助、両人に被仰付その遠国をたゞし、
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『甲陽軍鑑』品第四十八弾左衛門か隣りの町人共寄合て、彼法順何と申有共女をとゞめん儀、やすきといへども彼僧大きなる徒法師にて、たゞはとめらるまじ、とめねば打擲いたさずしてはかなふまじ、さありて出家をたゝき候はゞ何と理をもちても大慈悲心の御屋形信玄公の国法に、坊主に杖をあつること、大かたのせんさくにてもましますまじと、少分なる商人共さへ遠慮して下女を法順にとられける、
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『甲陽軍鑑』品第四十八手の外なる儀多しと存する人もある、扨信玄公双方の目安をよませ聞召、則ち仰出さるゝ此僧は一段心强き、たてきりたるゝ僧なるべし、子細は某が前にいで出家の身として、女の公事を上る事、道理非はいかんもあれ、先心にあやまりは有まじ、
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『甲陽軍鑑』品第四十八珍重々々甲府浄土宗の僧公事之事一或る年俗と坊主の公事上る、其元を糺して申せば、甲府に三日市塲·八日市塲とて日市の立町あり、両町の内三日市塲に塩屋弾左衛門と云ふ町人候て浄土宗の尊体寺と云ふわき坊主法順と申出家に、右の弾左衛門金子をかり年月をへて彼借金沢山になる、使をやれども弾左衛門少しもなす事なし、法順殊の外ちからの强きあら僧なれば自身三日市塲へゆき弾左衛門が所へ押こみ、とるべき物なきとて其の時十九歳になる下女を法順取て候へは、惣別甲州国習ひにて地下も町人も質をとらるゝ儀を一向の不覚に存ずる事、むかしより作法此通りに候へば、
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『甲陽軍鑑』品第四十八其上坊主が俗の所へ押入女を質に取りてかへるほどならば、彼代物借たる町人まへ年坊主をあなどり、借物をばきつかはずして、出家に腹をたゝする俗人が下女をとられてから、年々少しづこも返弁するに、坊主の久敷借たる物を取きらずは、返すまじきと申内に物かりたる町人死したらば、無智の僧の心に、年月あなづられたる、幸に女をとらんと思ふ程の道理有まじ、