甲陽軍鑑 / 品第四十八
夏の比にてこそありつらめ、男馬の艸を苅に曉罷出、折節女房母の日に當る、出家も其日をは必ず存じいつも參る、此坊主も温天にて日を厭ひ早朝に罷越衣をぬぎて垣に懸せやなぎの傍に立寄小便の用所をたし井のもとにて手水を遣ひ衣を取てきんとする、女房は御坊の早く御越とていそぎ起てかみを取あげ、未だ手水をつかわず、窓よりそとをのぞきながら御僧樣早々ましますと詞をかくる所へ、男もどりあたる、
新字:夏の比にてこそありつらめ、男馬の艸を苅に暁罷出、折節女房母の日に当る、出家も其日をは必ず存じいつも参る、此坊主も温天にて日を厭ひ早朝に罷越衣をぬぎて垣に懸せやなぎの傍に立寄小便の用所をたし井のもとにて手水を遣ひ衣を取てきんとする、女房は御坊の早く御越とていそぎ起てかみを取あげ、未だ手水をつかわず、窓よりそとをのぞきながら御僧様早々ましますと詞をかくる所へ、男もどりあたる、
書き下し
夏の比にてこそありつらめ、男馬の艸を苅に暁罷出、折節女房母の日に当る、出家も其日をは必ず存じいつも参る、此坊主も温天にて日を厭ひ早朝に罷越衣をぬぎて垣に懸せやなぎの傍に立寄小便の用所をたし井のもとにて手水を遣ひ衣を取てきんとする、女房は御坊の早く御越とていそぎ起てかみを取あげ、未だ手水をつかわず、窓よりそとをのぞきながら御僧様早々ましますと詞をかくる所へ、男もどりあたる、
現代語訳
夏の頃にてこそありつらめ。男は馬の草を刈りに暁に罷り出る。折節、女房の母の日に当たる。出家もその日をば必ず存じ、いつも参る。この坊主も温天にて日を厭い早朝に罷り越し、衣を脱ぎて垣に懸せ、柳の傍に立ち寄り小便の用所を足し、井のもとにて手水を遣い、衣を取って着んとする。女房は、御坊が早く御越しとて急ぎ起きて髪を取り上げ、いまだ手水を使わず、窓より外を覗きながら、御僧様、早々にましますと詞をかくる所へ、男が戻り当たる。
解説
暑いので僧は衣を脱いで垣に掛け、用を足して手を洗い、衣を着ようとしている。女房は起きたばかりで髪を上げ、窓から声をかける。そこへ夫が帰ってくる。誤解の材料が一つずつ、無理なく並べられている。誤解の材料が一つずつ、無理なく並べられている。暑さで衣を脱いだこと、起きたばかりの髪、窓からの声。そこへ夫が帰ってくるという順序になっている。
この章句が説くこと
誤解場面衣早朝女房坊主
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