甲陽軍鑑 / 品第四十八
かくありて右の女を二年の間寺に置、其內に女、父もなきおのこを一人もつ、町人共の事なれば、彼出家をにくみ惡名を申事、たゞよのつねならぬ批判なり、縱へ訴人にてこれなくとも、此出家の樣子、何とやらんあしければ、侍衆の中にても、法順が惡名をわらわぬ人はさのみなし、
新字:かくありて右の女を二年の間寺に置、其内に女、父もなきおのこを一人もつ、町人共の事なれば、彼出家をにくみ悪名を申事、たゞよのつねならぬ批判なり、縦へ訴人にてこれなくとも、此出家の様子、何とやらんあしければ、侍衆の中にても、法順が悪名をわらわぬ人はさのみなし、
書き下し
かくありて右の女を二年の間寺に置、其内に女、父もなきおのこを一人もつ、町人共の事なれば、彼出家をにくみ悪名を申事、たゞよのつねならぬ批判なり、縦へ訴人にてこれなくとも、此出家の様子、何とやらんあしければ、侍衆の中にても、法順が悪名をわらわぬ人はさのみなし、
現代語訳
かくありて、右の女を二年のあいだ寺に置き、その内に女が父もなき男子を一人持つ。町人どもの事なれば、かの出家を憎み悪名を申す事、ただ世の常ならぬ批判なり。たとえ訴人にてこれなくとも、この出家の様子は何とやらん悪しければ、侍衆の中にても法順の悪名を笑わぬ人はさのみなし。
解説
二年のあいだに女が父のない子を産む。訴える者がいなくても、評判は町から侍衆まで広がっている。訴訟に上がる前から、どちらが悪く見られているかは決まっていた。訴訟に上がる前から、どちらが悪く見られているかは決まっていた。二年のあいだに女が父のない子を産み、その評判が町から侍衆まで広がっていたからである。
この章句が説くこと
悪名評判二年子町人侍衆
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