甲陽軍鑑 / 品第四十八
手の外なる儀多しと存する人もある、扨信玄公双方の目安をよませ聞召、則ち仰出さるゝ此僧は一段心强き、たてきりたるゝ僧なるべし、子細は某が前にいで出家の身として、女の公事を上る事、道理非はいかんもあれ、先心にあやまりは有まじ、
書き下し
手の外なる儀多しと存する人もある、扨信玄公双方の目安をよませ聞召、則ち仰出さるゝ此僧は一段心强き、たてきりたるゝ僧なるべし、子細は某が前にいで出家の身として、女の公事を上る事、道理非はいかんもあれ、先心にあやまりは有まじ、
現代語訳
さて信玄公は双方の目安を読ませ聞こし召し、すなわち仰せ出だされる。この僧は一段心強き、立て切りたる僧なるべし。子細は、それがしの前に出で、出家の身として女の公事を上ぐる事、道理・非はいかんもあれ、まず心に誤りはあるまじ。
解説
出家の身で女をめぐる訴訟を主君の前まで持ってきた、その一点を見る。理非はともかく、後ろ暗いことがあればここまで来られないという読みである。世間が悪名を言い立てている相手を、まず心強い僧だと評した。世間が悪名を言い立てている相手を、まず心強い僧だと評した。後ろ暗いことがあれば、出家の身で主君の前まで訴えを持ってこられないという読みである。
この章句が説くこと
目安心強き出家御前読み逆転
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