甲陽軍鑑 / 品第四十八
其後女に奉行衆の被官共委しく尋てあれば、此女の持たる子は本寺の毛沙彌が忍びてもたせたる子也、是以て信玄公の御積り淺からず、大慈大悲の名大將と在家も出家も是を感ずるは手の外の儀成故紙面にあらはし置候心得給へ、長坂長閑老、
新字:其後女に奉行衆の被官共委しく尋てあれば、此女の持たる子は本寺の毛沙弥が忍びてもたせたる子也、是以て信玄公の御積り浅からず、大慈大悲の名大将と在家も出家も是を感ずるは手の外の儀成故紙面にあらはし置候心得給へ、長坂長閑老、
書き下し
其後女に奉行衆の被官共委しく尋てあれば、此女の持たる子は本寺の毛沙弥が忍びてもたせたる子也、是以て信玄公の御積り浅からず、大慈大悲の名大将と在家も出家も是を感ずるは手の外の儀成故紙面にあらはし置候心得給へ、長坂長閑老、
現代語訳
その後、女に奉行衆の被官どもが委しく尋ねてあれば、この女の持ちたる子は本寺の毛沙弥が忍びて持たせたる子なり。これもって信玄公の御積もりは浅からず、大慈大悲の名大将と在家も出家もこれを感ずるは手の外の儀なるゆえ、紙面に表し置き候、心得給え。長坂長閑老、跡部大炊助殿。以上。
解説
女を奉行へ渡した後で改めて聞き取ると、子の父は別の寺の沙弥だった。皆が炙られると見ていた僧は潔白だったことになる。読みが外れなかったのを手の外の儀と呼び、名指しの二人へ宛てて書き残している。読みが外れなかったのを手の外の儀と呼び、名指しの二人へ宛てて書き残している。皆が炙られると見ていた僧は、聞き取りの結果、潔白だったことになる。
この章句が説くこと
聞取り沙弥潔白世評手の外信玄
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