甲陽軍鑑 / 品第四十八
御前さばきに罷成、諸人の批判に彼の出家子を持て、其上少つゝも物をば取り、下女をば返さず、奉行の扱もきかず旁々以つての事なれば、みごりの爲にあぶらるべしと申人多く五十人の內に、一二人は信玄公の御さばき、
新字:御前さばきに罷成、諸人の批判に彼の出家子を持て、其上少つゝも物をば取り、下女をば返さず、奉行の扱もきかず旁々以つての事なれば、みごりの為にあぶらるべしと申人多く五十人の内に、一二人は信玄公の御さばき、
書き下し
御前さばきに罷成、諸人の批判に彼の出家子を持て、其上少つゝも物をば取り、下女をば返さず、奉行の扱もきかず旁々以つての事なれば、みごりの為にあぶらるべしと申人多く五十人の内に、一二人は信玄公の御さばき、
現代語訳
諸人の批判に、かの出家が子を持ちて、そのうえ少しずつも物をば取り、下女をば返さず、奉行の扱いも聞かず、方々もっての事なれば、見懲りのために炙らるべしと申す人が多く、五十人の内に一二人は、信玄公の御裁きは手の外なる儀が多しと存ずる人もある。
解説
五十人のうち四十八九人までが、火炙りになるだろうと見ている。残る一二人だけが、この主君の裁きは人の読みの外に出ることが多いと考えている。世評の一致そのものが、次の逆転の前振りになっている。世評の一致そのものが、次の逆転の前振りになっている。五十人のうち四十八九人までが火炙りだと見ている中で、残る一二人だけが別の読みをしていた。
この章句が説くこと
世評一致手の外裁き見懲り信玄
関連する章句
-
『甲陽軍鑑』品第四十八手の外なる儀多しと存する人もある、扨信玄公双方の目安をよませ聞召、則ち仰出さるゝ此僧は一段心强き、たてきりたるゝ僧なるべし、子細は某が前にいで出家の身として、女の公事を上る事、道理非はいかんもあれ、先心にあやまりは有まじ、
-
『甲陽軍鑑』品第四十七上下の批判に、曲淵をまねて手がらもなき者は中々いはんとも思ふまじ、又功もなくしていふならば、よその気まうもはづかしかるべし、心有るほどの人は手抦なくしてはいはんとも、おもはずいふてもおかしき事也と、諸人取りさたは信玄公御ことばに心の付らるゝ御意の故なり、
-
『甲陽軍鑑』品第四十八さりながら、いやしくも仏体をまぬる出家に證拠もなき事にそこつになはをかくる事、私しにては勿体なし、扨また彼百姓狼籍なりとて頸を切りなば、相手出家成ゆへ其慈悲かくる間此百姓百日籠舎成、彼野人の女房は此男にそわんも離別も女人次第夫は申に及ばず又此出家いかにも片方に住、無学の僧にても得経に背くは曲事たり、され共右百姓の申儀證拠なければ是罪科にも成がたし、経文相違の事計也、経文相違の出家を其儘をかばいかゞなり、経に背かざる様に心ざし、他国へまいり出家を立べし、我分国をはらへとて、青沼介兵衛·市川宮内ノ助、両人に被仰付その遠国をたゞし、
-
『甲陽軍鑑』品第四十美濃殿程公事の理篇·批判致す人なきとの儀は、信玄公御工夫あさからず候へばこそ如此、さる間何方へ御馬を向られ、然も敵国へふかく働き有時も諸々の武士大小共に侍衆の事は不及申候、誠に雑人迄定て是はかつ事にてこそ御座あらめと思ひ、少もまくべきと存ぜざるは信玄公の智略賢くまします故如此、
-
『甲陽軍鑑』品第四十八公事になりて跡先の算用をきはむれば、出家金子の方に一度取たると申て女をかへさず、弾左衛門いきたる内、女とられて後も、少しつゝは年々に返弁いたすは此女を取かへさんといふ事、證人いくたりもありといへども、以上に法順女をもどさねば科におとして、彼僧を糺明より外は別になし、さありて仏体をまなぶ出家を、楚忽に糺明いたす事、何と無智の僧にても下々にてならざるやうに、信玄公常々の御仕置なれば、奉行則屋形へ申上らるゝ故、
-
『甲陽軍鑑』品第四十其ごとくある世間の体をもちがへ、ひとむき一ツかたぎをこのむは、かならず国持の非儀ならん、但しよき大将の上には一ツやうなるも、ほめてこそあるらめ、或は三四七ツともいはんと信玄公御諚あり、