甲陽軍鑑 / 品第四十八
珍重々々甲府淨土宗の僧公事之事一或る年俗と坊主の公事上る、其元を糺して申せば、甲府に三日市塲·八日市塲とて日市の立町あり、兩町の内三日市塲に塩屋彈左衛門と云ふ町人候て淨土宗の尊体寺と云ふわき坊主法順と申出家に、右の彈左衞門金子をかり年月をへて彼借金澤山になる、使をやれども彈左衛門少しもなす事なし、法順殊の外ちからの强きあら僧なれば自身三日市塲へゆき彈左衞門が所へ押こみ、とるべき物なきとて其の時十九歲になる下女を法順取て候へは、惣別甲州國習ひにて地下も町人も質をとらるゝ儀を一向の不覺に存ずる事、むかしより作法此通りに候へば、
新字:珍重々々甲府浄土宗の僧公事之事一或る年俗と坊主の公事上る、其元を糺して申せば、甲府に三日市塲·八日市塲とて日市の立町あり、両町の内三日市塲に塩屋弾左衛門と云ふ町人候て浄土宗の尊体寺と云ふわき坊主法順と申出家に、右の弾左衛門金子をかり年月をへて彼借金沢山になる、使をやれども弾左衛門少しもなす事なし、法順殊の外ちからの强きあら僧なれば自身三日市塲へゆき弾左衛門が所へ押こみ、とるべき物なきとて其の時十九歳になる下女を法順取て候へは、惣別甲州国習ひにて地下も町人も質をとらるゝ儀を一向の不覚に存ずる事、むかしより作法此通りに候へば、
書き下し
珍重々々甲府浄土宗の僧公事之事一或る年俗と坊主の公事上る、其元を糺して申せば、甲府に三日市塲·八日市塲とて日市の立町あり、両町の内三日市塲に塩屋弾左衛門と云ふ町人候て浄土宗の尊体寺と云ふわき坊主法順と申出家に、右の弾左衛門金子をかり年月をへて彼借金沢山になる、使をやれども弾左衛門少しもなす事なし、法順殊の外ちからの强きあら僧なれば自身三日市塲へゆき弾左衛門が所へ押こみ、とるべき物なきとて其の時十九歳になる下女を法順取て候へは、惣別甲州国習ひにて地下も町人も質をとらるゝ儀を一向の不覚に存ずる事、むかしより作法此通りに候へば、
現代語訳
珍重々々。甲府浄土宗の僧の公事の事。一、ある年、俗と坊主の公事が上る。その元を糺して申せば、甲府に三日市場・八日市場とて日市の立つ町あり。両町の内、三日市場に塩屋弾左衛門という町人が候て、浄土宗の尊体寺という脇坊主の法順と申す出家に、右の弾左衛門が金子を借り、年月を経てかの借金が沢山になる。使いをやれども弾左衛門は少しもなす事なし。法順は殊のほか力の強き荒僧なれば、自身三日市場へ行き弾左衛門の所へ押し込み、取るべき物なきとて、その時十九歳になる下女を法順が取って候えば。総別、甲州の国習いにて、地下も町人も質を取らるる儀を一向の不覚に存ずる事、昔より作法このとおりに候えば。
解説
この章句が説くこと
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『正法眼蔵随聞記』巻六示して云く、人を愧づべくんば明眼の人を愧づべし、予在宋の時天童の浄和尚、侍者に請するにいはく、元子は外国人たりといへども、器量人なりと云ふて請す、予堅く此を辞す、其故は和国に聞へん為にも、学道の稽古の為にも、大切なれども、衆中に具眼の人ありて、外国人として大叢林の侍者たらんこと、大国に人なきに似たりと難ずることやあらん、最もはぢつべしと思ひて、書状を以て此旨をのべしかば、浄和尚聞て、国を重んじ、人を愧づることを感じ、許して更に請し玉はざりしなり、
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『正法眼蔵随聞記』巻三是れに愧て辞すといへども、猶終に首座に請す、其の後元首座此の詞はを記録して、自らを愧しめて師の美言を顕はす、今ま是を案ずるに、昇進を望み、物のかしらとなり、長老とならんと思ふことをば、古人是を慚ぢしむ、只道を悟らんとのみ思ふて余事あるべからず、
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論語・憲問篇憲、恥を問う。子曰わく、邦に道あれば穀し、邦に道無くして穀するは、恥なり。
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論語・泰伯篇子曰く、篤く信じて学を好み、死を守りて道を善くす。危邦には入らず、乱邦には居らず。天下道有れば則ち見れ、道無ければ則ち隠る。邦に道有りて、貧しく且つ賤しきは、恥なり。邦に道無くして、富み且つ貴きは、恥なり。
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説苑・立節王子比干身を殺して以て其の忠を作し、伯夷叔斉身を殺して以て其の廉を成す。此の三子なる者は、皆天下の通士なり。豈に其の身を愛せざらんや。以為えらく夫れ義の立たず、名の著れざるは是れ士の恥なりと。故に身を殺して以て其の行いを遂ぐ。此に因りて之を観れば、卑賤貧窮は、士の恥に非ざるなり。夫れ士の恥ずる所の者は、天下忠を挙げて士与らず、信を挙げて士与らず、廉を挙げて士与らざるなり。三者身に在りて、名後世に伝わり、日月と並びて息まず、無道の世と雖も汚す能わず。然れば則ち死を好みて生を悪むに非ざるなり、富貴を悪みて貧賤を楽しむに非ざるなり、其の道に由り其の理に遵い、尊貴己に及ばば、士辞せざるなり。孔子曰わく、「富にして求む可くんば、執鞭の士と雖も、吾亦之を為さん。富にして求む可からざれば、吾が好む所に従わん」と。大聖の操なり。詩に云う、「我が心石に匪ず、転ず可からず。我が心席に匪ず、巻く可からず」と。己を失わざるを言うなり。己を失わざる能わば、然る後与に難を済う可し。此れ士君子の衆に越ゆる所以なり。
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『甲陽軍鑑』品第六諏訪はつしやうの御甲ばかりゆるしまいらせらると也。一北条氏康十二歳の時其比は鉄炮珍らしきとて、諸侍悉く打習時氏康鉄炮の音に驚き給ふ、諸人目をひきわらひ申す、氏康口惜しく思召し小刀をもつて自害をせんとし給ふ時、各々其小刀を取り奉れば涙をながし給ふ、御もりの清水が申やうは、たけき武士が物に驚くことむかしより申伝たり、其謂れは馬もかんのよきは、ねずなきにかゝり、人に賞翫せらる、物に驚くをばはめた事に致すといひたれば、其時しづまり給ふ、是氏康公十二の御歳也、