甲陽軍鑑 / 品第四十八
さて又右の彈左衞門、下女とらるゝ四年目に、彈左衞門夫婦ながらあひはつる、しかも此者むすめ一人ありて、別に子とてもゝたず、扨むすめの男は八日市とて、やがて其つどきたる町にゐる者にて、しうとの彈左衞門が家屋敷諸道具ども、むこにくれて死する、むこは八日市魚屋の甚九郞と云ふ商人なり、此甚九郞法順所へ、右の女を返せと云ふて使をやり、となりの者を賴み佗言しても法順女をかへさゞる故、目安をしたゝめ、奉行所へ申て、
新字:さて又右の弾左衛門、下女とらるゝ四年目に、弾左衛門夫婦ながらあひはつる、しかも此者むすめ一人ありて、別に子とてもゝたず、扨むすめの男は八日市とて、やがて其つどきたる町にゐる者にて、しうとの弾左衛門が家屋敷諸道具ども、むこにくれて死する、むこは八日市魚屋の甚九郎と云ふ商人なり、此甚九郎法順所へ、右の女を返せと云ふて使をやり、となりの者を頼み佗言しても法順女をかへさゞる故、目安をしたゝめ、奉行所へ申て、
書き下し
さて又右の弾左衛門、下女とらるゝ四年目に、弾左衛門夫婦ながらあひはつる、しかも此者むすめ一人ありて、別に子とてもゝたず、扨むすめの男は八日市とて、やがて其つどきたる町にゐる者にて、しうとの弾左衛門が家屋敷諸道具ども、むこにくれて死する、むこは八日市魚屋の甚九郎と云ふ商人なり、此甚九郎法順所へ、右の女を返せと云ふて使をやり、となりの者を頼み佗言しても法順女をかへさゞる故、目安をしたゝめ、奉行所へ申て、
現代語訳
さてまた右の弾左衛門は、下女を取らるる四年目に夫婦ながら相果つる。しかもこの者は娘一人ありて、別に子とても持たず。さて娘の男は八日市とて、やがてその続き来たる町にいる者にて、舅の弾左衛門が家屋敷・諸道具どもを婿にくれて死する。婿は八日市の魚屋の甚九郎という商人なり。この甚九郎が法順の所へ、右の女を返せと言うて使いをやり、隣りの者を頼み詫び言をしても法順が女を返さざるゆえに、目安をしたため、奉行所へ申して公事になりて、跡先の算用を極むれば。
解説
この章句が説くこと
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『甲陽軍鑑』品第四十八公事になりて跡先の算用をきはむれば、出家金子の方に一度取たると申て女をかへさず、弾左衛門いきたる内、女とられて後も、少しつゝは年々に返弁いたすは此女を取かへさんといふ事、證人いくたりもありといへども、以上に法順女をもどさねば科におとして、彼僧を糺明より外は別になし、さありて仏体をまなぶ出家を、楚忽に糺明いたす事、何と無智の僧にても下々にてならざるやうに、信玄公常々の御仕置なれば、奉行則屋形へ申上らるゝ故、
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『甲陽軍鑑』品第四十八弾左衛門か隣りの町人共寄合て、彼法順何と申有共女をとゞめん儀、やすきといへども彼僧大きなる徒法師にて、たゞはとめらるまじ、とめねば打擲いたさずしてはかなふまじ、さありて出家をたゝき候はゞ何と理をもちても大慈悲心の御屋形信玄公の国法に、坊主に杖をあつること、大かたのせんさくにてもましますまじと、少分なる商人共さへ遠慮して下女を法順にとられける、
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『甲陽軍鑑』品第四十八珍重々々甲府浄土宗の僧公事之事一或る年俗と坊主の公事上る、其元を糺して申せば、甲府に三日市塲·八日市塲とて日市の立町あり、両町の内三日市塲に塩屋弾左衛門と云ふ町人候て浄土宗の尊体寺と云ふわき坊主法順と申出家に、右の弾左衛門金子をかり年月をへて彼借金沢山になる、使をやれども弾左衛門少しもなす事なし、法順殊の外ちからの强きあら僧なれば自身三日市塲へゆき弾左衛門が所へ押こみ、とるべき物なきとて其の時十九歳になる下女を法順取て候へは、惣別甲州国習ひにて地下も町人も質をとらるゝ儀を一向の不覚に存ずる事、むかしより作法此通りに候へば、
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『甲陽軍鑑』品第四十八かくありて右の女を二年の間寺に置、其内に女、父もなきおのこを一人もつ、町人共の事なれば、彼出家をにくみ悪名を申事、たゞよのつねならぬ批判なり、縦へ訴人にてこれなくとも、此出家の様子、何とやらんあしければ、侍衆の中にても、法順が悪名をわらわぬ人はさのみなし、
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『甲陽軍鑑』品第四十八其上坊主が俗の所へ押入女を質に取りてかへるほどならば、彼代物借たる町人まへ年坊主をあなどり、借物をばきつかはずして、出家に腹をたゝする俗人が下女をとられてから、年々少しづこも返弁するに、坊主の久敷借たる物を取きらずは、返すまじきと申内に物かりたる町人死したらば、無智の僧の心に、年月あなづられたる、幸に女をとらんと思ふ程の道理有まじ、
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『甲陽軍鑑』品第四十八縦へ公事の理非は如何もあれ、十方旦那を頼む坊主に、かさつを申かくるは、勿体なし何れの道にもぶせんさくなる儀は武士の大に嫌ふ儀也、此公事此出家の理也とて、尊体寺法順思ふさま〳〵公事に勝謂れは、彼町人出家を侮り理もなき公事を仕候間、科銭の上に三十日籠舎と仰付らるゝ其後彼法順に信玄公意見を云んとて、御諚なさるゝは心强きことは尤もなれども、重てケ様の公事は必ず無用たるべし、古人も云ひ置能学下恵不師其跡と聞、是は以来の為なりと有て物をば出家の申次第、蔵より出し女人は奉行へ渡すべしとさばき給ふは、諸人の批判に違て各別なる故書記す、