甲陽軍鑑 / 品第四十八
飯富源四郎、橫田は彥十郞の時なれど筆に任せて如此、山縣は永祿八年に兄飯富兵部を信玄公御成敗ありてより、源四郎を山縣三郞兵衞になされ候なり、是は生替の若傍輩のうわさ申さるゝに名をかへざる時の心ばせを飯富源四郞といへば、山縣三郎兵衞事にてなきと思はすまじきとて如此、
新字:飯富源四郎、横田は彥十郎の時なれど筆に任せて如此、山県は永禄八年に兄飯富兵部を信玄公御成敗ありてより、源四郎を山県三郎兵衛になされ候なり、是は生替の若傍輩のうわさ申さるゝに名をかへざる時の心ばせを飯富源四郎といへば、山県三郎兵衛事にてなきと思はすまじきとて如此、
書き下し
飯富源四郎、横田は彥十郎の時なれど筆に任せて如此、山県は永禄八年に兄飯富兵部を信玄公御成敗ありてより、源四郎を山県三郎兵衛になされ候なり、是は生替の若傍輩のうわさ申さるゝに名をかへざる時の心ばせを飯富源四郎といへば、山県三郎兵衛事にてなきと思はすまじきとて如此、
現代語訳
右のこの時節は馬場美濃守は民部、山県は飯富源四郎、横田は彦十郎の時なれど、筆に任せてこのとおり。山県は永禄八年に兄の飯富兵部を信玄公が御成敗ありてより、源四郎を山県三郎兵衛になされ候なり。これは生まれ替わりの若い傍輩の噂に申さるるに、名を替えざる時の心ばえを飯富源四郎と言えば、山県三郎兵衛の事でないと思わすまじきとて、このとおり。珍重々々。
解説
話の中の人名を、当時の名ではなく後の名で通したと断る。若い者は昔の名で言われても同じ人だと分からないから、というのが理由である。読む人が誰かを考えて、記録の書き方を決めている。読む人が誰かを考えて、記録の書き方を決めている。若い者は昔の名で言われても同じ人だと分からないから、後の名で通したと断っている。
この章句が説くこと
改名山県飯富記録読み手断り
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