甲陽軍鑑 / 品第四十八
提婆が惡も、觀音の慈悲、槃特が愚痴も文珠の智惠とさたいたさん子細は今福淨閑のあらきさばきは提婆、櫻井殿双方無事にと有は、觀音、武藤三河兩方理なりと分別わからぬは槃特今井伊勢守こと〳〵く理非を分らるゝは文珠、さてこそ提婆が惡も、觀音の慈悲、槃特が愚痴も文珠の智惠とあり、善も惡も鈍も利根もきわめて成佛のごとく此二人の僧中よきさばき如此なりと、横田十郞兵衛批判すれば各咄とわらひて座を立なり右此時節は馬塲美濃守·民部·山縣は、
新字:提婆が悪も、観音の慈悲、槃特が愚痴も文珠の智恵とさたいたさん子細は今福浄閑のあらきさばきは提婆、桜井殿双方無事にと有は、観音、武藤三河両方理なりと分別わからぬは槃特今井伊勢守こと〳〵く理非を分らるゝは文珠、さてこそ提婆が悪も、観音の慈悲、槃特が愚痴も文珠の智恵とあり、善も悪も鈍も利根もきわめて成仏のごとく此二人の僧中よきさばき如此なりと、横田十郎兵衛批判すれば各咄とわらひて座を立なり右此時節は馬塲美濃守·民部·山県は、
書き下し
提婆が悪も、観音の慈悲、槃特が愚痴も文珠の智恵とさたいたさん子細は今福浄閑のあらきさばきは提婆、桜井殿双方無事にと有は、観音、武藤三河両方理なりと分別わからぬは槃特今井伊勢守こと〳〵く理非を分らるゝは文珠、さてこそ提婆が悪も、観音の慈悲、槃特が愚痴も文珠の智恵とあり、善も悪も鈍も利根もきわめて成仏のごとく此二人の僧中よきさばき如此なりと、横田十郎兵衛批判すれば各咄とわらひて座を立なり右此時節は馬塲美濃守·民部·山県は、
現代語訳
提婆が悪も観音の慈悲、槃特が愚痴も文殊の智恵と沙汰いたさん。子細は、今福浄閑の荒き裁きは提婆、桜井殿の双方無事にとあるは観音、武藤三河が両方に理なりと分別の分からぬは槃特、今井伊勢守がことごとく理非を分けらるるは文殊。さてこそ、提婆が悪も観音の慈悲、槃特が愚痴も文殊の智恵とあり。善も悪も鈍も利根も、きわめて成仏のごとく、この二人の僧が仲よき裁きはこのとおりなりと横田十郎兵衛が批判すれば、方々がどっと笑いて座を立つなり。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『墨子』公孟程子曰く、「甚だしいかな、先生の儒を毁るや」と。子墨子曰く、「儒に固より此の各の四政無くして、我れ之を言わば、則ち是れ毁るなり。今、儒に固より此の四政有りて、我れ之を言わば、則ち毁るに非ざるなり、聞くを告ぐるなり」と。程子、辭無くして出づ。子墨子曰く、「之に迷えるかな」と。反り、後に坐して、進みて復た曰く、「鄉者、先生の言に聞く可き者有り。若し先生の言のごとくんば、則ち是れ禹を譽めず、桀紂を毁らざるなり」と。子墨子曰く、「然らず。夫れ孰辭に應ずるに、議に稱いて之を為すは、敏なり。厚く攻むれば則ち厚く吾れし、薄く攻むれば則ち薄く吾れす。孰辭に應じて議に稱うは、是れ猶お轅を荷いて蛾を擊つがごときなり」と。
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『墨子』公孟二三子、子墨子に復して曰く、「告子曰く、『義を言いて行い甚だ惡し』と。請う、之を棄てん」と。子墨子曰く、「不可なり。我が言を稱して以て我が行いを毁るは、亡きに愈れり。人、此に有り、『翟は甚だ不仁なり、天を尊び、鬼に事え、人を愛して、甚だ不仁なり』と。猶お亡きに愈るなり。今、告子は言談甚だ辯にして、仁義を言いて吾を毁らず。告子は猶お亡きに愈るなり」と。
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孟子・盡心章句下貉稽(ハク・ケイ)曰く、「稽大いに口に理あらず。」孟子曰く、「傷むこと無かれ。士は茲の多口に憎まる。詩に云う、『憂心悄悄たり、羣小に慍らる』とは、孔子なり。『肆(ついに)に厥に慍りを殄(たつ)たず、亦た厥の問を隕とさず』とは、文王なり。」
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尚書・秦誓人を責むる斯れ難きこと無し、惟れ責めを受けて流るるが如くならしむる、是れ惟れ艱きかな。
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『韓非子』忠孝第五十一人の臣と為りて、常に先王の德厚を譽めて之を願うは、是れ其の君を誹謗する者なり。・・・其の君を非る者は、天下之を賢とす。此れ亂るる所以なり。
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論語・憲問篇微生畝、孔子に謂いて曰く、「丘、何為れぞ是れ栖栖たる者ぞ。乃ち佞を為すこと無からんや。」孔子曰く、「敢えて佞を為すに非ざるなり、固を疾むなり。」