甲陽軍鑑 / 品第四十八
縱へば檜木にて木履を一足造りて人にやれば足にはきていかようなる所をもありくぞ、又其木のきれにて佛を作りて人にあたふれば押板の上へあげ香花をもりて拜するぞ、其ごとくにいかにして兄弟子成共無學の僧をば師匠が馬をひかせて、さて弟子弟なり共學問の有をば師匠も執する者なり、其方善萬坊は四五ヶ年も此寺に住してはや六十に及に付ては、隱居して三十にならぬ琳切に跡をゆつり候へ琳切も弟子兄無智の儈なりとも、兄弟子の事なれば老たるをうやまひ、師匠の形見とも存せられ、寺中の家財を三ケ一分し善萬坊へあたへ寺のはしに置て念比尤もなり、念比なくば學問のしるしは有まじ、扨又善萬坊無學の意地にて弟子をとゝのへ琳切にまけたると口惜く我をたて、惡をはたらき必ず琳切に毒をかひなどあるにおいては勿体なき事ならんと定むると、今井伊勢守さばきにて、信玄公御耳によろしく思召なり、
新字:縦へば檜木にて木履を一足造りて人にやれば足にはきていかようなる所をもありくぞ、又其木のきれにて仏を作りて人にあたふれば押板の上へあげ香花をもりて拝するぞ、其ごとくにいかにして兄弟子成共無学の僧をば師匠が馬をひかせて、さて弟子弟なり共学問の有をば師匠も執する者なり、其方善万坊は四五ヶ年も此寺に住してはや六十に及に付ては、隠居して三十にならぬ琳切に跡をゆつり候へ琳切も弟子兄無智の儈なりとも、兄弟子の事なれば老たるをうやまひ、師匠の形見とも存せられ、寺中の家財を三ケ一分し善万坊へあたへ寺のはしに置て念比尤もなり、念比なくば学問のしるしは有まじ、扨又善万坊無学の意地にて弟子をとゝのへ琳切にまけたると口惜く我をたて、悪をはたらき必ず琳切に毒をかひなどあるにおいては勿体なき事ならんと定むると、今井伊勢守さばきにて、信玄公御耳によろしく思召なり、
書き下し
縦へば檜木にて木履を一足造りて人にやれば足にはきていかようなる所をもありくぞ、又其木のきれにて仏を作りて人にあたふれば押板の上へあげ香花をもりて拝するぞ、其ごとくにいかにして兄弟子成共無学の僧をば師匠が馬をひかせて、さて弟子弟なり共学問の有をば師匠も執する者なり、其方善万坊は四五ヶ年も此寺に住してはや六十に及に付ては、隠居して三十にならぬ琳切に跡をゆつり候へ琳切も弟子兄無智の儈なりとも、兄弟子の事なれば老たるをうやまひ、師匠の形見とも存せられ、寺中の家財を三ケ一分し善万坊へあたへ寺のはしに置て念比尤もなり、念比なくば学問のしるしは有まじ、扨又善万坊無学の意地にて弟子をとゝのへ琳切にまけたると口惜く我をたて、悪をはたらき必ず琳切に毒をかひなどあるにおいては勿体なき事ならんと定むると、今井伊勢守さばきにて、信玄公御耳によろしく思召なり、
現代語訳
たとえば檜木にて木履を一足造りて人にやれば、足に履いていかようなる所をも歩くぞ。またその木の切れにて仏を作りて人に与うれば、押板の上へ上げ香花を盛りて拝するぞ。そのごとくに、いかにして兄弟子なりとも無学の僧をば師匠が馬を引かせて、さて弟子の弟なりとも学問のあるをば師匠も執する者なり。その方善万坊は四五か年もこの寺に住して、はや六十に及ぶに付いては、隠居して三十にならぬ琳切に跡を譲り候え。琳切も、弟子兄は無智の僧なりとも兄弟子の事なれば老いたるを敬い、師匠の形見とも存ぜられ、寺中の家財を三か一分し善万坊へ与え、寺の端に置いて懇ろがもっともなり。懇ろなくば学問の印しはあるまじ。さてまた善万坊が無学の意地にて弟子を調え、琳切に負けたると口惜しく我を立て、悪を働き、必ず琳切に毒を飼うなどあるにおいては、もったいなき事ならんと定むると、今井伊勢守の裁きにて、信玄公の御耳によろしく思し召しなり。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
人物志・體別夫れ學は材を成す所以なり、疏は情を推す所以なり。偏材の性は、移轉すべからず。
-
言志四録・南洲手抄学之を古訓に稽へ、問之を師友に質すは、人皆之を知る。学必ず之を躬に学び、問必ず諸を心に問ふは、其れ幾人有らんか。
-
言志四録・南洲手抄朝にして食はずば、昼にして饑う。少うして学ばずば、壮にして惑ふ。饑うるは猶忍ぶ可し、惑ふは奈何ともす可からず。
-
歎異抄・第十二条経釈を読み学せざる輩、往生不定の由のこと。この条、すこぶる不足言の義と言いつべし。 他力真実の旨を明かせる諸の聖教は、本願を信じ念仏を申さば仏に成る、そのほか何の学問かは往生の要なるべきや。 まことにこの理に迷えらん人は、いかにもいかにも学問して、本願の旨を知るべきなり。 経釈を読み学すといえども、聖教の本意を心得ざる条、もっとも不便のことなり。
-
論語・為政篇子曰く、異端を攻むるは、斯れ害のみ。
-
説苑・建本子思曰わく、学は才を益す所以なり、礪は刃を致す所以なり。吾嘗て幽処して深く思うも、学の速やかなるに若かず。吾嘗て跂ちて望むも、高きに登りて博く見るに若かず。故に風に順いて呼べば、声疾しきを加えざれども聞く者衆し。丘に登りて招けば、臂長きを加えざれども見る者遠し。故に魚は水に乗り、鳥は風に乗り、草木は時に乗る。