甲陽軍鑑 / 品第四十八
弟子兄の寺建立の儀僧俗ともにわが居所を似あはしく取つくろひ候事、珍しからぬ事に候へば建立は我首のぬれぬ爲にてこゝへは出あはぬ儀なり、然れば圓藏院末期の手形を善萬坊取たるよし、それなくは又是ほど公事にはならぬなり、尤末期の手形にては琳切方へ前々の約束も破るべし、其上、學問相承の事は、仔細はむかしを傳へ聞くに、
新字:弟子兄の寺建立の儀僧俗ともにわが居所を似あはしく取つくろひ候事、珍しからぬ事に候へば建立は我首のぬれぬ為にてこゝへは出あはぬ儀なり、然れば円蔵院末期の手形を善万坊取たるよし、それなくは又是ほど公事にはならぬなり、尤末期の手形にては琳切方へ前々の約束も破るべし、其上、学問相承の事は、仔細はむかしを伝へ聞くに、
書き下し
弟子兄の寺建立の儀僧俗ともにわが居所を似あはしく取つくろひ候事、珍しからぬ事に候へば建立は我首のぬれぬ為にてこゝへは出あはぬ儀なり、然れば円蔵院末期の手形を善万坊取たるよし、それなくは又是ほど公事にはならぬなり、尤末期の手形にては琳切方へ前々の約束も破るべし、其上、学問相承の事は、仔細はむかしを伝へ聞くに、
現代語訳
弟子兄の寺建立の儀は、僧俗ともに我が居所を似合わしく取り繕い候事は珍しからぬ事に候えば、建立は我が首の濡れぬためにて、ここへは出合わぬ儀なり。しかれば、円蔵院末期の手形を善万坊が取りたるよし。それなくば、またこれほど公事にはならぬなり。もっとも末期の手形にては、琳切方へ前々の約束も破るべし。そのうえ、学問相承の事は、子細は昔を伝え聞くに。
解説
四番目は、まず論点を一つ削る。荒れた寺を直すのは自分の雨露をしのぐためで、この争いの材料にはならないと切り捨てる。残るのは末期の手形一枚だけで、それがなければ争いにもならなかったと整理する。残るのは末期の手形一枚だけで、それがなければ争いにもならなかったと整理する。まず論点を一つ削るところから始めているのが要点である。
この章句が説くこと
今井論点建立手形整理裁き
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『甲陽軍鑑』品第四十八扨又琳切申は師匠死去の後、寺退転の建立は尤なれとも此琳切が近所に罷在、其方に跡を取おかせ、よき時分に寺をとらんと申さば何と連々師匠の約束にても寺とらんとは申にくき儀なれ共大和国へ参候へば何をも存ぜず候、其上此琳切が遠国へ参るも遊山にてはなし一宗の立派をも少は存て、出家道をたて此寺になをらんと思ふは人間まよひの塵埃なり、学問の真似をも仕るはほんかうじやうにゐる事、存命の間はいかに出家にても各如此又前判を破る後判とある、是は尤の事なれど、我等遠国へ参り十ヶ年に及び便宜なき故死したると師匠も思ひ給へばこそ、其方へ手形を渡され候へ我等いきて有儀を知給はゞ円蔵院をいかで其方へゆづり給ふへき、それは我等死したると思ひての事なり、いくよりも申如く我等学問の儀仕候て師匠の死に目にあはぬ内の儀、一ツも役にたち申まじきと云ふ儀にて甲府へまいりめやすをあげ、
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『甲陽軍鑑』品第四十八御蔵のまへにて弟子あに善万坊、弟子おとうと琳切両僧の公事有そのとき甲府の四奉行は、今井伊勢守·武藤三河守·桜井安芸守·今福浄閑さばきなり、四奉行一二三四の図とりにて今福浄閑一くじなるゆへ浄閑申さるゝは、おとうと弟子琳切が理なれば、此寺は弟でしの寺に仕候へ無智の僧いやと申さば寺を引出し縦へば還俗なりともくるしからず候とさばく、二のゝは桜井安芸守なれば桜井申さるゝ、いかに無智の僧成とも出家をさやうにあらくあてがふては慈悲結縁かくるなりとさばく、
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『甲陽軍鑑』品第四十八縦へば檜木にて木履を一足造りて人にやれば足にはきていかようなる所をもありくぞ、又其木のきれにて仏を作りて人にあたふれば押板の上へあげ香花をもりて拝するぞ、其ごとくにいかにして兄弟子成共無学の僧をば師匠が馬をひかせて、さて弟子弟なり共学問の有をば師匠も執する者なり、其方善万坊は四五ヶ年も此寺に住してはや六十に及に付ては、隠居して三十にならぬ琳切に跡をゆつり候へ琳切も弟子兄無智の儈なりとも、兄弟子の事なれば老たるをうやまひ、師匠の形見とも存せられ、寺中の家財を三ケ一分し善万坊へあたへ寺のはしに置て念比尤もなり、念比なくば学問のしるしは有まじ、扨又善万坊無学の意地にて弟子をとゝのへ琳切にまけたると口惜く我をたて、悪をはたらき必ず琳切に毒をかひなどあるにおいては勿体なき事ならんと定むると、今井伊勢守さばきにて、信玄公御耳によろしく思召なり、
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