甲陽軍鑑 / 品第四十八
右の辻六郞兵衛武邊二十八度の塲數にて、御證文十七給はるとあるは首尾不合のやうなれども、惣別武邊十度の塲數には證文下さるゝほどなるは二度相おほくして、三度ならでなき物なれども、此辻彌兵衞がはたらきは十度の內九度は非だちのいらざるつよみなり、さるほどに辻彌兵衞差物はあかねのふきぬき、和田加介は白き練のふきぬきにて山縣同心の内にて若手には辻彌兵衛·和田加介兩人なり、又長坂宮内左衞門·今福求ノ介是兩人も若手の武士なり、
新字:右の辻六郎兵衛武辺二十八度の塲数にて、御證文十七給はるとあるは首尾不合のやうなれども、惣別武辺十度の塲数には證文下さるゝほどなるは二度相おほくして、三度ならでなき物なれども、此辻弥兵衛がはたらきは十度の内九度は非だちのいらざるつよみなり、さるほどに辻弥兵衛差物はあかねのふきぬき、和田加介は白き練のふきぬきにて山県同心の内にて若手には辻弥兵衛·和田加介両人なり、又長坂宮内左衛門·今福求ノ介是両人も若手の武士なり、
書き下し
右の辻六郎兵衛武辺二十八度の塲数にて、御證文十七給はるとあるは首尾不合のやうなれども、惣別武辺十度の塲数には證文下さるゝほどなるは二度相おほくして、三度ならでなき物なれども、此辻弥兵衛がはたらきは十度の内九度は非だちのいらざるつよみなり、さるほどに辻弥兵衛差物はあかねのふきぬき、和田加介は白き練のふきぬきにて山県同心の内にて若手には辻弥兵衛·和田加介両人なり、又長坂宮内左衛門·今福求ノ介是両人も若手の武士なり、
現代語訳
右の辻六郎兵衛は武辺二十八度の場数にて、御証文を十七給わるとあるは首尾不合のようであれども、総別、武辺十度の場数には証文を下さるるほどなるは二度が相多くして、三度ならでなき物なれども、この辻弥兵衛の働きは、十度の内九度は非立ちの要らざる強みである。さるほどに、辻弥兵衛の差物は茜の吹貫、和田加介は白き練りの吹貫にて、山県同心の内にて若手には辻弥兵衛・和田加介の両人なり。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『甲陽軍鑑』品第四十八ここに甲州東郡にのろと云ふ在所に辻弥兵衛と申て其年二十九歳になる侍山県三郎兵衛が同心なり、此若者、父は辻六郎兵衛とて信玄公の外様近習四十五騎の内なり、武篇は二十八度の塲数有り、大剛の兵にて、信州かいづの小幡山城入道日意が好んでむこにいたす程の武士なれば、甲州において、米倉一党·辻一党両侍の一類に臆病なる者一人も無之、類親広き中に米倉一党に丹後守·辻一党に六郎兵衛是れ両人は一入名を得たる覚への兵なり、
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『甲陽軍鑑』品第四十八其節辻弥兵衛鑓下の高名して、ひざの口をのぶかに射られ、其矢をぬかずして、とりたるくびを持てきたり大将の山県前にかしこまりゐる、山県大きにいかつてみかたの引とらざる内にもどりたると有儀にて、辻弥兵衛を山県三郎兵衛しかりて塲をおひたつる、其後又味方が原合戦に山県手にて一番鑓はらみ石源右衛門、二番鑓辻弥兵衛と申す此者十七歳の九月初陣より二十九歳の三月までの間に遠州みつけにての物見をそへ以上十度の塲数なり、但し信玄公御證文は三ならでもたず、仔細はみかたが原見付の国府にての儀は信玄公御病気なれば、帰陣有て来春甲府にて下さるべしとて御感状出でざる間、翌年三月の公事なる故によつて御證文三ツならでなし、
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『甲陽軍鑑』品第四十八弥兵衛申すは、それがし当年十七歳御旗本に罷有、何の手抦も無しては親祖父の名をも汚し申すの間、御先手に罷有、似あはしき流矢をもひろい、高名をも重ね、冥加ありて自然命ながらへ候はど其時は近習に罷成候共、先づ今度は先衆に罷成度と飯富兵部少輔をもつて目安をあぐるに付、山県三郎兵衛が同心になされ、
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『甲陽軍鑑』品第四十八辻弥兵衛申すは、尤もかた〳〵の塲数は、いんげんに及ばぬ人の存知たる儀なり、さりながら我等罷出ぬ以前は、それがし親の辻六郎兵衛と申者、各も少しは御存知あらん、六郎兵衛も武辺塲数の御證文十七迄戴き候て外様近習の内に人をこせ共終に人にこされず、度々の手疵をかうふり、あら勝負を仕り、殊に十三年以前に信州わりが嶽にて、当家にかくれなき覚の名人なれば近国·他国まで名高き原美濃殿に立合、則ち其塲にて討死いたす其はたらきは原入道信玄公へ直札申上られ候、其かくれ有まじ、
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『甲陽軍鑑』品第四十八御主殿に於て広瀨郷左衛門·みしな肥前両人、一方は又辻弥兵衛左右方の申分あり、先広瀨·みしな申す、公事は何様の者共仕べく候へども、武辺·公事の儀はあひ手によりての儀にて御座候、彼弥兵衛永禄四年川中島合戦初陣にて当年まで十三ヶ年ならで陣は仕候はず候、其上未だ年も二十九歳、武辺の御證文とても二三の儀なり、
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『甲陽軍鑑』品第四十八次の日は山県·松山信玄公御陣所へ帰陣也、さて其後辻弥兵衛富士の大宮神田屋敷において半月の指物をさしたる敵九人出たるを、尾州牢人猪子才蔵と辻弥兵衛と両人にて、敵働らかれぬ細道ゆへか鑓をもちて、ふたきどつゐておしこむ、各味方つゞいて、二木戸ながら破るは悉皆件の才蔵·弥兵衛が大剛强のはたらきゆへ也、中にも弥兵衛は半月指たる者を一人つきふせて討なれば、結句老功の才蔵よりはこしたると云ふ義を信玄公御前にて猪子才蔵がくわしく言上いたし候、