甲陽軍鑑 / 品第四十八
彌兵衛申すは、それがし當年十七歲御旗本に罷有、何の手抦も無しては親祖父の名をも汚し申すの間、御先手に罷有、似あはしき流矢をもひろい、高名をも重ね、冥加ありて自然命ながらへ候はど其時は近習に罷成候共、先づ今度は先衆に罷成度と飯富兵部少輔をもつて目安をあぐるに付、山縣三郞兵衞が同心になされ、
新字:弥兵衛申すは、それがし当年十七歳御旗本に罷有、何の手抦も無しては親祖父の名をも汚し申すの間、御先手に罷有、似あはしき流矢をもひろい、高名をも重ね、冥加ありて自然命ながらへ候はど其時は近習に罷成候共、先づ今度は先衆に罷成度と飯富兵部少輔をもつて目安をあぐるに付、山県三郎兵衛が同心になされ、
書き下し
弥兵衛申すは、それがし当年十七歳御旗本に罷有、何の手抦も無しては親祖父の名をも汚し申すの間、御先手に罷有、似あはしき流矢をもひろい、高名をも重ね、冥加ありて自然命ながらへ候はど其時は近習に罷成候共、先づ今度は先衆に罷成度と飯富兵部少輔をもつて目安をあぐるに付、山県三郎兵衛が同心になされ、
現代語訳
弥兵衛が申すは、それがしは当年十七歳。御旗本に罷りあり、何の手柄もなくては親・祖父の名をも汚し申すあいだ、御先手に罷りあり、似合わしき流れ矢をも拾い、高名をも重ね、冥加ありて自然に命ながらえ候わば、その時は近習に罷り成り候とも、まず今度は先衆に罷り成りたしと、飯富兵部少輔をもって目安を上ぐるにつき、山県三郎兵衛が同心になされ。
解説
十七歳で、父と同じ近習の座を用意された。ところが、手柄もないまま就けば親と祖父の名を汚すと言って断り、まず先手に置いてくれと願い出る。与えられた席を、自分で下げてから始めている。与えられた席を、自分で下げてから始めている。手柄もないまま就けば親と祖父の名を汚すと言って、まず先手に置いてくれと願い出ている。
この章句が説くこと
辻近習先手名辞退目安
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