甲陽軍鑑 / 品第四十八
かた〳〵の我等罷出ざる以前の武邊は、それがし父の六郞兵衞、ほそ心操をもつて次あひに仕候、左候は十三年以降はわかく候へども各より、ちと我等仕りかさみ申候、其上廣瀨殿頸澤山に御取候よし、それは尤も大剛の人なり、さりながら我等の五ツ取候しるしも、ざいこそ手にかけず共、かねまつ黑に付て匂ひ芬々ととめたる頸にて候へば、かた〳〵の討たる者にはます共おとり申まじ、さいはい手にかけたる人よりも結句ましの者にても候べしと申せば、
新字:かた〳〵の我等罷出ざる以前の武辺は、それがし父の六郎兵衛、ほそ心操をもつて次あひに仕候、左候は十三年以降はわかく候へども各より、ちと我等仕りかさみ申候、其上広瀨殿頸沢山に御取候よし、それは尤も大剛の人なり、さりながら我等の五ツ取候しるしも、ざいこそ手にかけず共、かねまつ黒に付て匂ひ芬々ととめたる頸にて候へば、かた〳〵の討たる者にはます共おとり申まじ、さいはい手にかけたる人よりも結句ましの者にても候べしと申せば、
書き下し
かた〳〵の我等罷出ざる以前の武辺は、それがし父の六郎兵衛、ほそ心操をもつて次あひに仕候、左候は十三年以降はわかく候へども各より、ちと我等仕りかさみ申候、其上広瀨殿頸沢山に御取候よし、それは尤も大剛の人なり、さりながら我等の五ツ取候しるしも、ざいこそ手にかけず共、かねまつ黒に付て匂ひ芬々ととめたる頸にて候へば、かた〳〵の討たる者にはます共おとり申まじ、さいはい手にかけたる人よりも結句ましの者にても候べしと申せば、
現代語訳
方々の、我らが罷り出ざる以前の武辺は、それがしの父の六郎兵衛が細き心操をもって次合いに仕り候。さ候わば、十三年以降は若く候えども、方々よりちと我らが仕り嵩み申し候。そのうえ広瀬殿は首を沢山に御取り候よし、それはもっとも大剛の人なり。さりながら、我らの五つ取り候印しも、采配こそ手にかけずとも、鉄漿黒に付けて匂い芬々ととどめたる首にて候えば、方々の討ちたる者には勝るとも劣り申すまじ。采配を手にかけたる人よりも、結局はましの者にても候べしと申せば。
解説
この章句が説くこと
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『甲陽軍鑑』品第四十八我等両人の事、みしなは十八、広瀨は十六歳にて平沢合戦から仕はじめ当年まで三十一年の間に、みしな鑓を八度あはせ、頸数は十六の内に、さいはいを手にかけたる武士の頸を七ッ取候て、旣に御證文十五戴き候、広瀨は三十一年の間に鑓を六度合候て、しるし五十九取申候中に、さいはいを手にかけたる頸を十一取候て御證文十七戴きもち申す、我等両人うち申候者共、信州にては村上殿·誠訪頼氏·ふかしの小笠原殿·上野上杉衆·北条家もらしの御敵の中に、はた奉行或ひは足軽大将、一備への内にて五六人の名有者斗りうつて、さいはいをそへて御実撿を得奉る、
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『甲陽軍鑑』品第四十八みしな申は、それは又我等広瀨度々手抦をあらはしたる故なりと申す、辻弥兵衛申すは、手抦も人にこされたるは深き儀にては有まじといへば、みしな申すは、広瀨·我等こしたる人はあまり覚へずといふ、辻弥兵衛申すは、旁はさすがのうでぬきをさする衆が武辺の儀に首尾不合なりといへば、みしな申すは、なにか口の違たる事ありやといへば、辻弥兵衛申すは、さいはいを手にかくる人より上の武士有間敷といひながら、今年さいをゆるされ申候て其以前三十年の間人にすぐれたると云ふは、さて首尾不合にてはなきと申て辻弥兵衛大きに笑へば、みしな一口もあかず、
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『甲陽軍鑑』品第四十八辻弥兵衛申すは、尤もかた〳〵の塲数は、いんげんに及ばぬ人の存知たる儀なり、さりながら我等罷出ぬ以前は、それがし親の辻六郎兵衛と申者、各も少しは御存知あらん、六郎兵衛も武辺塲数の御證文十七迄戴き候て外様近習の内に人をこせ共終に人にこされず、度々の手疵をかうふり、あら勝負を仕り、殊に十三年以前に信州わりが嶽にて、当家にかくれなき覚の名人なれば近国·他国まで名高き原美濃殿に立合、則ち其塲にて討死いたす其はたらきは原入道信玄公へ直札申上られ候、其かくれ有まじ、
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『甲陽軍鑑』品第四十八そこにてみしな申は、さいはいを手にかくるより上の兵は有まじといへば、辻弥兵衛申は、さあらばかた〳〵の三十一年こうさをつむ事は諸傍輩におとりたる儀を、何とて日来山県三郎兵衛同心被官の内に広瀨·みしな両人をこしたる覚への者有間敷と、いんげんを申つるぞ、さいはいは今年今月こそ免され申せといへば、
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『甲陽軍鑑』品第四十八さありて広瀨·みしなにさいはいをゆるさねば山県大ぞなへにて人数まはりかぬる、まはりかぬれば自らほさきもよはきやうになる、よはければ合戦·せりあひにをくれをとるぞ、をくれをとれば三郎兵衛が負といはず信玄がまけと云、我ためにて有ほどに、広瀨·みしながさいはいに辻弥兵衛遺恨は相やめてくれ候へ、其方などにも、さいはいゆるしてもよからんずれ共、当時新羅三郎公より武田家の作法にて、侍大将せぬ者に四十をこさねばさいはいゆるさゞる軍法なれば、かた〳〵もつて信玄に免じて物いひすべからず、
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『甲陽軍鑑』品第四十八右の辻六郎兵衛武辺二十八度の塲数にて、御證文十七給はるとあるは首尾不合のやうなれども、惣別武辺十度の塲数には證文下さるゝほどなるは二度相おほくして、三度ならでなき物なれども、此辻弥兵衛がはたらきは十度の内九度は非だちのいらざるつよみなり、さるほどに辻弥兵衛差物はあかねのふきぬき、和田加介は白き練のふきぬきにて山県同心の内にて若手には辻弥兵衛·和田加介両人なり、又長坂宮内左衛門·今福求ノ介是両人も若手の武士なり、