甲陽軍鑑 / 品第四十八
甲州·信濃·上野までも定めあるは今福淨閑工夫の故なり山縣同心·廣瀨·みしな·辻彌兵衞武邊公事の事一天正元年三月上旬に信玄公御病氣一段平愈なさるゝ子細は、板垣法印くすりを進上いたし其上、四花の灸をし給ひ、御快氣目出とふまし〳〵、同三月十五日には、織田信長居城國の内東美濃へ發向有べきとの旨、其陣觸甚だし諸人大小·上下共に悉く此度の陣には一入忠功を勵まし御感に預からんとよろこぶ事限りなし、
新字:甲州·信濃·上野までも定めあるは今福浄閑工夫の故なり山県同心·広瀨·みしな·辻弥兵衛武辺公事の事一天正元年三月上旬に信玄公御病気一段平愈なさるゝ子細は、板垣法印くすりを進上いたし其上、四花の灸をし給ひ、御快気目出とふまし〳〵、同三月十五日には、織田信長居城国の内東美濃へ発向有べきとの旨、其陣触甚だし諸人大小·上下共に悉く此度の陣には一入忠功を勵まし御感に預からんとよろこぶ事限りなし、
書き下し
甲州·信濃·上野までも定めあるは今福浄閑工夫の故なり山県同心·広瀨·みしな·辻弥兵衛武辺公事の事一天正元年三月上旬に信玄公御病気一段平愈なさるゝ子細は、板垣法印くすりを進上いたし其上、四花の灸をし給ひ、御快気目出とふまし〳〵、同三月十五日には、織田信長居城国の内東美濃へ発向有べきとの旨、其陣触甚だし諸人大小·上下共に悉く此度の陣には一入忠功を勵まし御感に預からんとよろこぶ事限りなし、
現代語訳
甲州・信濃・上野までも定めあるは、今福浄閑の工夫のゆえなり。山県同心の広瀬・三品・辻弥兵衛が武辺公事の事。一、天正元年三月上旬に信玄公の御病気が一段平癒なさるる。子細は、板垣法印が薬を進上いたし、そのうえ四花の灸をし給い、御快気めでとうましまし、同三月十五日には織田信長の居城の国の内、東美濃へ発向あるべきとの旨、その陣触れが甚だし。諸人は大小・上下ともに、ことごとくこの度の陣には一入忠功を励まし、御感に預からんと喜ぶ事限りなし。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
李衛公問対・卷下夫れ用兵の法は、必ず先ず吾が士衆を察し、吾が勝氣を激して、乃ち以て敵を擊つべし。吳起の『四機』は、氣機を以て上と爲す。他の道無きなり。能く人人をして自ら鬬わしむれば、則ち其の銳當たる莫し。
-
孫子・作戦篇故に智将は敵に食するを務む。敵に食する一鍾は、吾が二十鍾に当たり、萁稈一石は、吾が二十石に当たる。
-
孫子・行軍篇水を絶てば必ず水に遠ざかる。客水を絶ちて来たらば、之を水内に迎うる勿かれ。半ば済らしめて之を撃つは利なり。戦わんと欲する者は、水に附きて客を迎うる無かれ。生を視て高きに処り、水流を迎うる無かれ。此れ水上に処るの軍なり。
-
呉子・論将篇呉子曰く、凡そ兵に四機有り。一に曰く気機、二に曰く地機、三に曰く事機、四に曰く力機。三軍の衆、百万の師、張設の軽重、一人に在り、是を気機と謂う。路狭く道険しく、名山大塞、十夫の守る所、千夫も過ぎず、是を地機と謂う。善く間諜を行い、軽兵往来し、其の衆を分散し、其の君臣をして相怨ましめ、上下相咎めしむ、是を事機と謂う。車は管轄堅く、舟は櫓楫利く、士は戦陳に習い、馬は馳逐に閑る、是を力機と謂う。此の四つの者を知りて、乃ち将たるべし。然れども其の威・徳・仁・勇は、必ず以て下を率い衆を安んじ、敵を怖れしめ疑いを決するに足るべし。令を施して下犯さず、在る所寇敢えて敵せず。之を得れば国強く、之を去れば国亡ぶ。是を良将と謂う、と。
-
『韓非子』難二第三十七簡子抱を投げて曰く、「烏乎、吾の士數弊す。」燭過冑を免ぎて對えて曰く、「亦た君の能わざる有るのみ。士弊れたる者無し。」
-
六韜・励軍武王 太公に問ひて曰く、「吾 三軍の衆をして、城を攻むれば先登を争ひ、野戦すれば先赴を争ひ、金の声を聞きて怒り、鼓の声を聞きて喜ばしめんと欲す。之を為すこと奈何」と。太公曰く、「将に三あり」と。武王曰く、「敢へて其の目を問はん」と。太公曰く、「将 冬に裘を服ず、夏に扇を操らず、雨に蓋を張らず、名づけて礼将と曰ふ。将 身づから礼を服せざれば、以て士卒の寒暑を知る無し。隘塞を出で、泥塗を犯すには、将 必ず先づ下りて歩む、名づけて力将と曰ふ。将 身づから力を服せざれば、以て士卒の労苦を知る無し。軍 皆な次を定めて、将 乃ち舎に就く。炊ぐ者 皆な熟して、将 乃ち食に就く。軍 火を挙げざれば、将も亦た挙げず、名づけて止欲将と曰ふ。将 身づから止欲を服せざれば、以て士卒の飢飽を知る無し。将 士卒と寒暑・労苦・飢飽を共にす、故に三軍の衆、鼓の声を聞けば則ち喜び、金の声を聞けば則ち怒る。高城深池、矢石 繁く下るも、士は先登を争ふ。白刃 始めて合ふも、士は先赴を争ふ。士は死を好みて傷つくを楽しむに非ざるなり。其の将の寒暑・飢飽を知ること審らかにして、労苦を見ること明らかなるが為なり」と。