甲陽軍鑑 / 品第四十八
さなくば籠舍申付んと定むる、殊に又彼非人の命は三奉行が詫言を以て兩人の侍衆助け給ふ程に、有がたく存じておのれが家の皮艸履をしたゝめ、功力左太夫殿·小宮山八左衞門殿へ御禮に參り、此已後皮剝の道服·袖廣·帷にも牛と馬と兩方に、中には艸履を付てかならずきてありくべし、さなくばよき仕合にて己等はた物にあがらん、さては釜にていらるゝと心得候へと申定めらるゝに付、それより後は皮はぎ、何とよき馬にのりても右のごとくきたる道服帷のかたにてしるゝ樣に、
新字:さなくば籠舎申付んと定むる、殊に又彼非人の命は三奉行が詫言を以て両人の侍衆助け給ふ程に、有がたく存じておのれが家の皮艸履をしたゝめ、功力左太夫殿·小宮山八左衛門殿へ御礼に参り、此已後皮剝の道服·袖広·帷にも牛と馬と両方に、中には艸履を付てかならずきてありくべし、さなくばよき仕合にて己等はた物にあがらん、さては釜にていらるゝと心得候へと申定めらるゝに付、それより後は皮はぎ、何とよき馬にのりても右のごとくきたる道服帷のかたにてしるゝ様に、
書き下し
さなくば籠舎申付んと定むる、殊に又彼非人の命は三奉行が詫言を以て両人の侍衆助け給ふ程に、有がたく存じておのれが家の皮艸履をしたゝめ、功力左太夫殿·小宮山八左衛門殿へ御礼に参り、此已後皮剝の道服·袖広·帷にも牛と馬と両方に、中には艸履を付てかならずきてありくべし、さなくばよき仕合にて己等はた物にあがらん、さては釜にていらるゝと心得候へと申定めらるゝに付、それより後は皮はぎ、何とよき馬にのりても右のごとくきたる道服帷のかたにてしるゝ様に、
現代語訳
ことにまた、かの非人の命は三奉行の詫び言をもって両人の侍衆が助け給うほどに、ありがたく存じて、おのれが家の皮草履をしたため、功力左太夫殿・小宮山八左衛門殿へ御礼に参り、この以後、皮剥の道服・袖広・帷にも、牛と馬と両方に、中には草履を付けて必ず着て歩くべし。さなくば、よき仕合わせにて己らは磔物に上がらん、さては釜にて煎らるると心得候えと申し定めらるるにつき、それより後は皮剥が、何とよき馬に乗りても、右のごとく着たる道服・帷の肩にて知るるように。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
『甲陽軍鑑』品第四十八いたらぬ心より存ずる事大非義の仕形なり、乍去今迄改めて非人のもやう定まりなければ、上いかに乞食なり共、罪科にはなりがたし、子細はをしへずして、殺すを逆と云ふ時は功力左太夫殿·小宮山八左衛門殿此三人の奉行の真似に免じてこらへさせ給へ、扨又町人には、いかに商売代物かぎりなりとも歴々の侍たちに非人を見そこなふたる科おとしに両人の侍衆に巻物一ツづゝ持て玉屋権右衛門礼に参るべし、
-
『甲陽軍鑑』品第四十八則ち御蔵の前にて侍衆訴へ、町人の申分非人の者の云ふ事、公事のさたありて武藤三河守·桜井安芸守·今福浄閑此三奉行の中にても今福浄閑は物毎のよき功者なれば此公事をさたいたさるゝ、先侍衆道理至極に候、又町人も代物かぎりに酒商売の事なり、殊更御分国富貴の故、彼非人までもよろしきなりを仕り候は、是もつて万事逆になく、順義の御仕置ゆへこと〳〵く安堵して、誠につたなき非人まで侍のごとく騎鞍馬にのる、さあれば町人のみそこなふたるも道理なり、扨非人が代物かぎりならば、謙に及ばぬと、
-
『甲陽軍鑑』品第四十八酒すぎて後座を立つ時刻に、功力左太夫仲間が今の皮はぎを見しりて、両人の侍衆へ此者は是皮はぎなりとつぐる、八左衛門·左太夫大ひに腹をたて、宿の玉屋権右衛門に取かゝる、権右衛門は件の皮はぎにかゝる、然れ共小宮山八左衛門·功力左太夫両人ながら武道の心ばせよき者共にて、八左衛門は上州みか尻合戦に鑓わきをよく射て信玄公の御證文一ツ下さるゝ、左太夫も猶以て二ツまて武辺塲数の御證文を信玄公より給はりたる者共なる故、理を持つても町人などを事あらけなくおどす事聊か是れなし、乍併皮はぎこつじき侍の雑富貴なるに任せ如此候へば貴賤·上下のわかりもなく、さながら侍の作法何も悉皆いらざる事なりとて小宮山八左衛門·功力左太夫両人書付をもつて奉行衆へ申す、
-
『甲陽軍鑑』品第四十一人に慮外の儀、座敷にて友·傍輩の脇指又はひざなどにとりはづし、我足さはりたらば縦へ其人と中よくと、あしくと慇懃に畏り、手をつき三度戴くべし、いたゞかる人も、中よくとあしくと其時は、いかにもうちとけ、是れは迷惑と申して、あなたの手をいたゞくふりに仕るは是れたけき武士の作法ならん、人がいたゞくとて、それにのりかほをそらし、大きなる体をする人は十人·九人臆病に御座候、
-
『甲陽軍鑑』品第四十八さりながら、いやしくも仏体をまぬる出家に證拠もなき事にそこつになはをかくる事、私しにては勿体なし、扨また彼百姓狼籍なりとて頸を切りなば、相手出家成ゆへ其慈悲かくる間此百姓百日籠舎成、彼野人の女房は此男にそわんも離別も女人次第夫は申に及ばず又此出家いかにも片方に住、無学の僧にても得経に背くは曲事たり、され共右百姓の申儀證拠なければ是罪科にも成がたし、経文相違の事計也、経文相違の出家を其儘をかばいかゞなり、経に背かざる様に心ざし、他国へまいり出家を立べし、我分国をはらへとて、青沼介兵衛·市川宮内ノ助、両人に被仰付その遠国をたゞし、
-
『甲陽軍鑑』品第四十八さて弥兵衛が二番目の弟甚内にも五貫の御加恩、是は一条殿の衆なり、三番目辻弥惣にも五貫の御加恩是は又土屋右衛門尉衆なり、辻弥兵衛が威光をもつて弟の甚内·弥惣までに增知行これ有、但し甚内兄の弥兵衛に結句ましのおぼへ有、さて又みしな·広瀨をば御旗屋へ召よせられ、しかも本のさいはいゆるし下さるゝ、あさからぬ冥加のおほへ者也とほめざる人はなかりける、