甲陽軍鑑 / 品第四十七
惣別長閑も武篇には數度をしらたる人なれども、無分別故海尻の城を開て大きなる臆病者と被云給ふ、長閑の仕形は御爲もいらぬ我氣を取者をほめ候が御用に立者はあまり人の氣をとらぬ者なり、我等死に候はど跡にて長閑の仕置なるべし、跡部大炊分別信玄公の御代にはあまり是ほどにはなき人なれども、勝賴公の御代になり三ケ年長閑の眞似をして散々惡き分別なり、
新字:惣別長閑も武篇には数度をしらたる人なれども、無分別故海尻の城を開て大きなる臆病者と被云給ふ、長閑の仕形は御為もいらぬ我気を取者をほめ候が御用に立者はあまり人の気をとらぬ者なり、我等死に候はど跡にて長閑の仕置なるべし、跡部大炊分別信玄公の御代にはあまり是ほどにはなき人なれども、勝頼公の御代になり三ケ年長閑の真似をして散々悪き分別なり、
書き下し
惣別長閑も武篇には数度をしらたる人なれども、無分別故海尻の城を開て大きなる臆病者と被云給ふ、長閑の仕形は御為もいらぬ我気を取者をほめ候が御用に立者はあまり人の気をとらぬ者なり、我等死に候はど跡にて長閑の仕置なるべし、跡部大炊分別信玄公の御代にはあまり是ほどにはなき人なれども、勝頼公の御代になり三ケ年長閑の真似をして散々悪き分別なり、
現代語訳
総別、長閑も武篇には数度を知らたる人なれども、無分別ゆえに海尻の城を開けて、大きなる臆病者と言われ給う。長閑の仕形は、御ためにも要らぬ、我が気を取る者を褒め候が、御用に立つ者はあまり人の気を取らぬ者である。我らが死に候わば、跡にて長閑の仕置きなるべし。跡部大炊の分別は、信玄公の御代にはあまりこれほどにはなき人なれども、勝頼公の御代になり三か年、長閑の真似をして散々に悪しき分別である。
解説
自分の機嫌を取る者ばかり褒めるが、本当に役に立つ者は人の機嫌を取らない、と言い切る。もう一人のほうも、代替わりの三年でその真似をするようになった。悪い型は、一人から隣へ移る。悪い型は、一人から隣へ移る。本当に役に立つ者は人の機嫌を取らないと言い切った当人が、代替わりの三年でその真似をするようになった。
この章句が説くこと
機嫌取り長坂跡部代替り伝染見分け
関連する章句
-
説苑・奉使蔡師強・王堅をして楚に使いせしむ。楚王之を聞きて曰く、「人の名章章たる者多し、獨り師強王堅と爲すか。」趣かに之に見えんとし、次を以てせず、其の人の狀を視るに、其の名を疑いて其の聲を醜しとし、又た其の形を惡む。楚王大いに怒りて曰く、「今蔡人無きか。國伐つべきなり。人有りて遣わさざるか。國伐つべきなり。端に此を以て寡人を誡むるか。國伐つべきなり。」故に二使を發するに、三たび伐たんと謀る者を見る、蔡なり。
-
『甲陽軍鑑』品第四十三是一対二人之人也一他国へはたらきの時、其国の案内能く知たる人の事一諸傍輩にすぐれ、わが主君をよくたつとぶの事、是一対二人なり一物よくしつて、うわつらになく古人の理に徹して唐·日本にて侍手がらのうはさ有様に申人の事一坊主·町人·百姓いづれ成共計策能するものゝ事一是一対二人なり一忍よくする者の事一かねほり、是一対二人也右一二人にてすくなしといへども、
-
尚書・冏命慎みて乃の僚を簡べ、巧言令色、便辟側媚を以てすること無かれ、其れ惟れ吉士なるべし。
-
尚書・立政今自り立政するに、其れ憸人を以てすること勿かれ、其れ惟れ吉士のみ。
-
『甲陽軍鑑』品第四十三右三対六人の人陣の時大に嫌ふ人也△陣の時大将崇敬なさるゝ人一対づゝ五対合十人一才覚有りて勘定たけく、能き智恵深く、能く損徳の考して理非の二ツには理の方へ近く分別して、蔵よく賂ふ人の事、是一対二人也一心すくやかにて、まなこきゝて分別·才覚有て武道にさかしく、よく物いふ人の事一縦ひ無才覚なり共、分別なく共、物いふ事速かになく共、口わろく共、無能なり共、ねてもさめても武道心がくる人ありて左様のものを大将のみしり給ひ、念比なさるればことくく諸傍輩武篇を心がくる也、
-
尚書・咸有一德官に任ずるには惟れ賢材、左右には惟れ其の人。