甲陽軍鑑 / 品第四十七
信玄公二十の御歳信濃海尻の城にて本丸に小山田備中二の丸に日向大和·長坂長閑請取被居申候時分、長閑は左衞門尉と申、三人此城にさしおかる、地の侍衆こと〳〵く敵になりし時、長閑の分別にて、しきりに城をあくべきとの事なり、長閑出頭なる故、大和は長閑次第と申さるゝ、扨又小山田備中は本城におかせらるゝ過分に候へば、此城を枕にいたすべきと、かね〳〵存ずるとて立のかず、長閑と大和は城をあけてかへらるゝ、
新字:信玄公二十の御歳信濃海尻の城にて本丸に小山田備中二の丸に日向大和·長坂長閑請取被居申候時分、長閑は左衛門尉と申、三人此城にさしおかる、地の侍衆こと〳〵く敵になりし時、長閑の分別にて、しきりに城をあくべきとの事なり、長閑出頭なる故、大和は長閑次第と申さるゝ、扨又小山田備中は本城におかせらるゝ過分に候へば、此城を枕にいたすべきと、かね〳〵存ずるとて立のかず、長閑と大和は城をあけてかへらるゝ、
書き下し
信玄公二十の御歳信濃海尻の城にて本丸に小山田備中二の丸に日向大和·長坂長閑請取被居申候時分、長閑は左衛門尉と申、三人此城にさしおかる、地の侍衆こと〳〵く敵になりし時、長閑の分別にて、しきりに城をあくべきとの事なり、長閑出頭なる故、大和は長閑次第と申さるゝ、扨又小山田備中は本城におかせらるゝ過分に候へば、此城を枕にいたすべきと、かね〳〵存ずるとて立のかず、長閑と大和は城をあけてかへらるゝ、
現代語訳
信玄公二十の御歳、信濃の海尻の城にて、本丸に小山田備中、二の丸に日向大和・長坂長閑が請け取り居られ申し候時分、長閑は左衛門尉と申す。三人がこの城に差し置かる。地の侍衆がことごとく敵になりし時、長閑の分別にて、しきりに城を明くべきとの事である。長閑は出頭なるゆえ、大和は長閑次第と申さるる。さてまた小山田備中は、本城に置かせらるるは過分に候えば、この城を枕にいたすべきと、かねがね存ずるとて立ち退かず。長閑と大和は城を明けて帰らるる。
解説
この章句が説くこと
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『正法眼蔵随聞記』巻一亦云く、大衆不対の時、我れ南泉ならば、大衆既に道不得と云て、便ち猫児を放下してまじ、古人の云く、大用現前して軌則を存せずと、
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孫子・地形篇卒を視ること嬰児の如し、故に之と深谿に赴くべし。卒を視ること愛子の如し、故に之と俱に死すべし。厚くして使う能わず、愛して令する能わず、乱れて治むる能わざれば、譬えば驕子の若く、用うべからざるなり。
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『墨子』貴義子墨子曰く、今、瞽、「鉅なる者は白なり、黔なる者は黒なり」と曰う。眀目なる者と雖も以て之を易うる無し。白黒を兼ねて、瞽をして焉を取らしむれば、知る能わざるなり。故に我れ曰く、瞽の白黒を知らざるは、其の名を以てするに非ざるなり、其の取るを以てするなり。今、天下の君子の仁を名づくるや、禹湯と雖も以て之を易うる無し。仁と不仁とを兼ねて、天下の君子をして焉を取らしむれば、知る能わざるなり。故に我れ曰く、天下の君子の仁を知らざるは、其の名を以てするに非ざるなり、亦た其の取るを以てするなり。
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李衛公問対・卷下朕、千章萬句を觀るに、『多方以て之を誤らしむ』の一句を出でざるのみ。
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