甲陽軍鑑 / 品第四十七
扨又村井·荒川兩人百日の內に落合彥介をうちたるといひ、頸を一ツ桶に入て甲府へ歸り候、長閑·大炊をもつて指あぐる、淺からざる手抦也、すでに落合が平三郎をきりたるは申の年、是は翌年の酉のとしの三月、荒川·村井御請を申し、四月罷出六月きたる、路次中のゆきゝをのけては七十日ばかりにて落合をうちて歸る、兩人近年の牢人衆なれば、いまだ切符の躰なれ共、旣に五百貫づゝ兩人千貫可被下との思召也、
新字:扨又村井·荒川両人百日の内に落合彥介をうちたるといひ、頸を一ツ桶に入て甲府へ帰り候、長閑·大炊をもつて指あぐる、浅からざる手抦也、すでに落合が平三郎をきりたるは申の年、是は翌年の酉のとしの三月、荒川·村井御請を申し、四月罷出六月きたる、路次中のゆきゝをのけては七十日ばかりにて落合をうちて帰る、両人近年の牢人衆なれば、いまだ切符の体なれ共、旣に五百貫づゝ両人千貫可被下との思召也、
書き下し
扨又村井·荒川両人百日の内に落合彥介をうちたるといひ、頸を一ツ桶に入て甲府へ帰り候、長閑·大炊をもつて指あぐる、浅からざる手抦也、すでに落合が平三郎をきりたるは申の年、是は翌年の酉のとしの三月、荒川·村井御請を申し、四月罷出六月きたる、路次中のゆきゝをのけては七十日ばかりにて落合をうちて帰る、両人近年の牢人衆なれば、いまだ切符の体なれ共、旣に五百貫づゝ両人千貫可被下との思召也、
現代語訳
さてまた村井・荒川の両人は、百日の内に落合彦助を討ちたると言い、首を一つ桶に入れて甲府へ帰り候。長閑・大炊をもって指し上ぐる。浅からざる手柄である。すでに落合が平三郎を斬りたるは申の年。これは翌年の酉の年の三月、荒川・村井が御請けを申し、四月に罷り出で六月に来る。路次中の行き来を除けば七十日ばかりにて落合を討ちて帰る。両人は近年の牢人衆であれば、いまだ切符の体なれども、すでに五百貫ずつ両人に千貫を下さるべきとの思し召しなり。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『甲陽軍鑑』品第四十七一言申事ならず、さて右の荒川新之丞·村井久之丞両人長坂長閑·跡部大炊をもつて落合彥介をうちて可参と申上る、長閑·大炊かねてより二人の牢人衆を別してかいほう申に付、則ち隠密にて披露いたす、牢人衆の内に荒川·村井両人にて落合彥介をうちて可参とのぞみ申す、此者どもは一段すみやかなる衆にて、余所においても数度の手抦をいたしたるよし様々御とりなし申あぐる、信玄公常の事をば大かたならず被入御念といへども、金丸平三郎御意に入たる者なれば、
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『甲陽軍鑑』品第四十七ちんてうはいまうして御膝をだきいり、奉頼べきとことはりを五日前にしる人になりては六日目に、はや台所より、ねり入ほどの器用者なれば、長坂長閑·跡部大炊談合に牢人衆の中にて、荒川新之丞·村井久之丞二人は、なにを被仰付ても一かど然るべき人なり、是非共御取成し申べきとのことなれども、前にかわる事もなき所に卒爾に申上るに付ては、よきにはならずして結句面々旁まであしかるべしと存、
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『甲陽軍鑑』品第四十七就中彥介がしるしとて持て参るといへども、夏にて頸くさり、更に其体みへ申さず候、侍に定めて虚言は有まじく候、殊更荒川新之丞·村井久之丞と申人、殊の外才覚人にて、しかもみづから能御用に立べき人の様に申が、
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『甲陽軍鑑』品第四十七彼落合彥介が七十にあまる老母を、ほうこほつしが手にわたし籠のうちにて、せつしころされたるは名代のはぢにてはなきか、すでに其方をば信玄公御意に、曲淵にも年こそおとる共、武篇の事はおとる者にてはなきとの上意にて御座ありつるぞ、今ははや臆病者と仰出され候は、みな平三郎が御取成しあしき申なし故なり、我等親子いたし、よきやうに仕度存ずれ共、平三郎が其方ことざまに申上候へば何とも可然様無之候、如何やうなることにて其方は平三郎ににくまれ候や、貴殿事三法印へ対せられて定めて当年中は何事もこれあるまじきが、年あけばやがて大事なりとさま〳〵源五郎が申をしへ、
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『甲陽軍鑑』品第四十七折節高坂弾正川中島より甲府へ参候内藤修理と談合いたし、両人にて信玄公へ申上る、金丸平三郎事一段利発に御奉公申たる者にて御不便を加へらるゝ事御尤にて候、しかれば彼かたきの落合彥介を成敗仕頸とり、村井久之丞·荒川新之丞と申者罷帰候のよしにて一人に五百貫づゝ両人に千貫の御知行可被遣の旨何よりもつての御事なり、さりながら先重ねてになさるべく候其子細は山本勘介などにさへ始めは百貫にてめしよせられ候、但し其比は信濃国も漸やう十分一御手にいると申せ共、山本勘介は又尋常の者にあらず、御家へ参りても横田備中·原美濃·小幡山城·多田三八·山本勘介五人に勝れたる足軽大将にて御座候此五人は凡そ日本国にもあまり多くは有まじきと、近国にも人の存知たる者共也、
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『甲陽軍鑑』品第四十七信玄公右曲淵·落合公事落着不同之事、大形臆意はよき大将衆同風にまいるなり、以上金丸平三郎為落合彥助一被伐事並長坂源五郎被誅事一御舎弟道遥軒の被官落合彥助事、三法印の御佗言にて命助かり罷出る、然れ共七十にあまる母籠に入てあり、是は右の三法院へ逍遥軒より頼給ひ候へ共、三法院達仰らるゝには、彥介が罷出て、せめては五六十日も間を置て申べく候と被仰候へば、長坂長閑·跡部大炊両出頭衆も尤其事然べく候と談合申さるゝうちに彥介まかり出で、十日ばかりありて、年寄たる故に彥介が母死す、