甲陽軍鑑 / 品第四十七
信玄公右曲淵·落合公事落着不同之事、大形臆意はよき大將衆同風にまいるなり、以上金丸平三郞爲落合彥助一被伐事並長坂源五郞被誅事一御舍弟道遙軒の被官落合彥助事、三法印の御佗言にて命助かり罷出る、然れ共七十にあまる母籠に入てあり、是は右の三法院へ逍遙軒より賴給ひ候へ共、三法院達仰らるゝには、彥介が罷出て、せめては五六十日も間を置て申べく候と被仰候へば、長坂長閑·跡部大炊兩出頭衆も尤其事然べく候と談合申さるゝうちに彥介まかり出で、十日ばかりありて、年寄たる故に彥介が母死す、
新字:信玄公右曲淵·落合公事落着不同之事、大形臆意はよき大将衆同風にまいるなり、以上金丸平三郎為落合彥助一被伐事並長坂源五郎被誅事一御舎弟道遥軒の被官落合彥助事、三法印の御佗言にて命助かり罷出る、然れ共七十にあまる母籠に入てあり、是は右の三法院へ逍遥軒より頼給ひ候へ共、三法院達仰らるゝには、彥介が罷出て、せめては五六十日も間を置て申べく候と被仰候へば、長坂長閑·跡部大炊両出頭衆も尤其事然べく候と談合申さるゝうちに彥介まかり出で、十日ばかりありて、年寄たる故に彥介が母死す、
書き下し
信玄公右曲淵·落合公事落着不同之事、大形臆意はよき大将衆同風にまいるなり、以上金丸平三郎為落合彥助一被伐事並長坂源五郎被誅事一御舎弟道遥軒の被官落合彥助事、三法印の御佗言にて命助かり罷出る、然れ共七十にあまる母籠に入てあり、是は右の三法院へ逍遥軒より頼給ひ候へ共、三法院達仰らるゝには、彥介が罷出て、せめては五六十日も間を置て申べく候と被仰候へば、長坂長閑·跡部大炊両出頭衆も尤其事然べく候と談合申さるゝうちに彥介まかり出で、十日ばかりありて、年寄たる故に彥介が母死す、
現代語訳
信玄公の右の曲淵・落合の公事、落着は同じでない事。おおかた臆意は、よき大将衆は同じ風に参るのである。以上。金丸平三郎が落合彦助のために斬られたる事、ならびに長坂源五郎が誅せられたる事。一、御舎弟の逍遥軒の被官、落合彦助の事。三法印の御詫び言にて命が助かり罷り出る。しかれども、七十にあまる母は籠に入れてあり。これは右の三法院へ逍遥軒より頼み給い候えども、三法院たちが仰せらるるには、彦助が罷り出て、せめては五六十日も間を置いて申すべく候と仰せられ候えば、長坂長閑・跡部大炊の両出頭衆も、もっともその事しかるべく候と談合申さるるうちに、彦助が罷り出で、十日ばかりあって、年寄りたる故に彦助の母は死す。
解説
この章句が説くこと
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『甲陽軍鑑』品第四十七あしがる大将二がしらに二十人衆頭三人職衆に指添彥介をからめとり候へ、若し又傍輩共など其辺に見舞のためにゐる共それをもおさへてからめとり申べく候、まして落合事は申に及ばずとの御意にて、足軽衆·職衆·二十人衆各落合彥介宿をとりまき申され候、彥介はやく聞付け、にげてきけん寺へ走籠奉頼に付て先命に大事はなし、然れ共七十にあまる母を籠舎に被仰付候、其後仙海法印·しつかく山の勝覚院·妙王寺の妙音院三法印の御佗言にて候、信玄公御意には仙海法印の事は関東川越よりはる〳〵よびこし奉る間、不及是非国家の仕置の事をもかへりみず、三法印へ対し奉り命をば助置申べしとて五六十日有てたすかる、彼彥介罷出るさりながら家·屋敷·知行共にこと〳〵くめし上られ候、
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『甲陽軍鑑』品第四十七彼落合彥介が七十にあまる老母を、ほうこほつしが手にわたし籠のうちにて、せつしころされたるは名代のはぢにてはなきか、すでに其方をば信玄公御意に、曲淵にも年こそおとる共、武篇の事はおとる者にてはなきとの上意にて御座ありつるぞ、今ははや臆病者と仰出され候は、みな平三郎が御取成しあしき申なし故なり、我等親子いたし、よきやうに仕度存ずれ共、平三郎が其方ことざまに申上候へば何とも可然様無之候、如何やうなることにて其方は平三郎ににくまれ候や、貴殿事三法印へ対せられて定めて当年中は何事もこれあるまじきが、年あけばやがて大事なりとさま〳〵源五郎が申をしへ、
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『甲陽軍鑑』品第四十七一言申事ならず、さて右の荒川新之丞·村井久之丞両人長坂長閑·跡部大炊をもつて落合彥介をうちて可参と申上る、長閑·大炊かねてより二人の牢人衆を別してかいほう申に付、則ち隠密にて披露いたす、牢人衆の内に荒川·村井両人にて落合彥介をうちて可参とのぞみ申す、此者どもは一段すみやかなる衆にて、余所においても数度の手抦をいたしたるよし様々御とりなし申あぐる、信玄公常の事をば大かたならず被入御念といへども、金丸平三郎御意に入たる者なれば、
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『甲陽軍鑑』品第四十七然る所に曲淵が公事のあくる日に、御舎弟逍遥軒被官落合彥助と申者百姓と公事を仕り、負て奉行を悪口申其日の横奉行は金丸平三郎也、五人の中にても一入御前よきゆへ落合が雑言の様子申上る、信玄公聞召し、公事の次第は何と御尋ある平三郎申は、其段は奉行衆へ可被尋仰候、我等はたゞ雑言の事ばかりと申候、信玄公聞こしめし、当家法度の式目を則ち存じいたすことやさしき分別なりとて彼平三郎を御褒美あり、
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『甲陽軍鑑』品第四十七平三郎敵うちいたすべきとのぞみ申こと大慶に思召、其時にかぎり、あさ〳〵と仰いだされ、引物をあたへよと有て長坂長閑·跡部大炊分別をもつて落合彥介が討手に村井·荒川をさしこし候、此長坂長閑は信玄公御幼少の時分御局の弟なり、又跡部大炊は跡部尾張と申して、是も勝千代殿と申時の御もりの甥なり、何も御若年の時、局も御もりも死するに付て、是への御届けに長坂長閑·跡部大炊は出頭ときこへ候、
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『甲陽軍鑑』品第四十七其後仰出しには、彼落合彥助事曲淵に年こそおとりたりとも、武辺の事さのみおとる者にてなし、さるについて逍遥軒にとらせ候所に、曲淵が蔵前にて奉行どもに雑言の事赦免せしめてありとて、いつもさやう有べきと存、事下より上をはからふたる様子言語同断、口惜く思召し候、其上第一に彼彥助をあれほどの臆病者にて有べしとは御存知なし、