甲陽軍鑑 / 品第四十七
就中彥介がしるしとて持て參るといへども、夏にて頸くさり、更に其体みへ申さず候、侍に定めて虚言は有まじく候、殊更荒川新之丞·村井久之丞と申人、殊の外才覺人にて、しかもみづから能御用に立べき人の樣に申が、
新字:就中彥介がしるしとて持て参るといへども、夏にて頸くさり、更に其体みへ申さず候、侍に定めて虚言は有まじく候、殊更荒川新之丞·村井久之丞と申人、殊の外才覚人にて、しかもみづから能御用に立べき人の様に申が、
書き下し
就中彥介がしるしとて持て参るといへども、夏にて頸くさり、更に其体みへ申さず候、侍に定めて虚言は有まじく候、殊更荒川新之丞·村井久之丞と申人、殊の外才覚人にて、しかもみづから能御用に立べき人の様に申が、
現代語訳
とりわけ、彦助の印しとて持って参ると言えども、夏にて首が腐り、更にその体は見え申さず候。侍に定めて虚言はあるまじく候。ことさら荒川新之丞・村井久之丞と申す人は、殊のほか才覚人にて、しかも自ら、よく御用に立つべき人のように申すが。
解説
持ち帰った首は夏の暑さで腐り、誰の首か分からなくなっていた。侍が嘘をつくはずはないと断りながら、あの二人は自分から役に立つと言って回る才覚者だと付け加える。疑いを、断り書きの形で置いている。疑いを、断り書きの形で置いている。侍が嘘をつくはずはないと言いながら、自分から役に立つと言って回る才覚者だと付け加えている。
この章句が説くこと
首腐る証し疑い才覚荒川
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