甲陽軍鑑 / 品第四十七
これへ可參と申事にてもなし、其ころ四國の三善修理大夫公天下を意見なされ候へども、遠路にて三善殿へ可參と申事にてもなし、敵なれば越後の長尾謙信へ可參と各取さたのごとく、彼落合彥介越後へ參るのよしきこゆる、信玄公思召には、彥介を討てきたらん者には知行一かど仰付らるべきと長坂長閑·跡部大炊に密々にての上意なり、長閑·大炊助誰をか見合申つくべきと談合いたす、
新字:これへ可参と申事にてもなし、其ころ四国の三善修理大夫公天下を意見なされ候へども、遠路にて三善殿へ可参と申事にてもなし、敵なれば越後の長尾謙信へ可参と各取さたのごとく、彼落合彥介越後へ参るのよしきこゆる、信玄公思召には、彥介を討てきたらん者には知行一かど仰付らるべきと長坂長閑·跡部大炊に密々にての上意なり、長閑·大炊助誰をか見合申つくべきと談合いたす、
書き下し
これへ可参と申事にてもなし、其ころ四国の三善修理大夫公天下を意見なされ候へども、遠路にて三善殿へ可参と申事にてもなし、敵なれば越後の長尾謙信へ可参と各取さたのごとく、彼落合彥介越後へ参るのよしきこゆる、信玄公思召には、彥介を討てきたらん者には知行一かど仰付らるべきと長坂長閑·跡部大炊に密々にての上意なり、長閑·大炊助誰をか見合申つくべきと談合いたす、
現代語訳
その頃、四国の三好修理大夫公が天下を意見なされ候えども、遠路にて三好殿へ参るべしと申す事にてもなし。敵なれば越後の長尾謙信へ参るべしと、方々の取り沙汰のごとく、かの落合彦助は越後へ参るのよし聞こゆる。信玄公の思し召しには、彦助を討ちて来たらん者には知行一かどを仰せ付けらるべきと、長坂長閑・跡部大炊に密々にての上意なり。長閑・大炊助は誰をか見合わせ申し付くべきと談合いたす。
解説
消していった末に、敵国の越後しか残らない。そこへ参ったと聞こえたので、討ち取った者に知行を与えると密かに触れる。表沙汰にせず、二人の側近にだけ告げるという形が取られている。表沙汰にせず、二人の側近にだけ告げるという形が取られている。消していった末に、行き先は敵国の越後しか残らないという絞り方である。
この章句が説くこと
越後謙信懸賞密々長坂跡部
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『甲陽軍鑑』品第四十七一言申事ならず、さて右の荒川新之丞·村井久之丞両人長坂長閑·跡部大炊をもつて落合彥介をうちて可参と申上る、長閑·大炊かねてより二人の牢人衆を別してかいほう申に付、則ち隠密にて披露いたす、牢人衆の内に荒川·村井両人にて落合彥介をうちて可参とのぞみ申す、此者どもは一段すみやかなる衆にて、余所においても数度の手抦をいたしたるよし様々御とりなし申あぐる、信玄公常の事をば大かたならず被入御念といへども、金丸平三郎御意に入たる者なれば、
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『甲陽軍鑑』品第四十七ちんてうはいまうして御膝をだきいり、奉頼べきとことはりを五日前にしる人になりては六日目に、はや台所より、ねり入ほどの器用者なれば、長坂長閑·跡部大炊談合に牢人衆の中にて、荒川新之丞·村井久之丞二人は、なにを被仰付ても一かど然るべき人なり、是非共御取成し申べきとのことなれども、前にかわる事もなき所に卒爾に申上るに付ては、よきにはならずして結句面々旁まであしかるべしと存、
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『甲陽軍鑑』品第四十七折節高坂弾正川中島より甲府へ参候内藤修理と談合いたし、両人にて信玄公へ申上る、金丸平三郎事一段利発に御奉公申たる者にて御不便を加へらるゝ事御尤にて候、しかれば彼かたきの落合彥介を成敗仕頸とり、村井久之丞·荒川新之丞と申者罷帰候のよしにて一人に五百貫づゝ両人に千貫の御知行可被遣の旨何よりもつての御事なり、さりながら先重ねてになさるべく候其子細は山本勘介などにさへ始めは百貫にてめしよせられ候、但し其比は信濃国も漸やう十分一御手にいると申せ共、山本勘介は又尋常の者にあらず、御家へ参りても横田備中·原美濃·小幡山城·多田三八·山本勘介五人に勝れたる足軽大将にて御座候此五人は凡そ日本国にもあまり多くは有まじきと、近国にも人の存知たる者共也、